「主権回復の日」政府式典の意義を考えてみた

2013.04.27 Saturday 03:23
くっくり



 まずは、日本がこのサンフランシスコ平和条約にのっとって、残念ながら、本当に残念ながら、沖縄、奄美、小笠原については施政権の日本への返還はできなかったのでありますが、その道への一歩を踏み出そうという思いの中で、大変そういう地域の皆様には申しわけないとの思いの中で、まずこのサンフランシスコ平和条約を発効させることによって独立を、主権を回復したわけでありますが、当然、そのときに、その段階では、沖縄を初めそういう地域は主権を回復できなかった。これは本当にじくじたる思いであった。その思いも我々は共有しなければならない、こう思っているわけであります。

 戦後の一定期間、我が国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史をまず忘れてはならない。そして、苦難を耐え抜かれた先人の心情に思いをいたし、沖縄の方々の抱える基地負担の軽減に取り組むとともに、奄美、小笠原、沖縄を含めた我が国の未来を切り開いていくという決意を新たにしていくことが重要であろう、このように考えております。

 実際のところ、占領軍(ほぼアメリカ)がつくった、占領軍にとって都合の良い枠組みに置かれてしまっているのは、何も沖縄だけではありません。
 日本という国全体が未だにそうなのです。

 沖縄も含め日本が国全体として占領体制から脱却し、真の独立を果たす!……その決意を新たにするための式典であると私は理解しています。


 それでもやはり一部沖縄県民や左翼の方々は、「沖縄を犠牲として、アメリカに差し出すことで主権を回復した日だ。沖縄にとっては屈辱の日だ」と主張するのでしょう。

 あるいは、イデオロギーとは全く別の次元のところで、「沖縄は置いてけぼりを食っているのでは?」と感じている沖縄県民の方々も少なからずおられるかもしれません。

 その心情は私も否定しませんし、沖縄の苦悩も自分なりに理解はしているつもりです。

 しかし考えてみて下さい。
 物事には順序というものがあります。

 日本が国家としての主権をまず回復しなければ、沖縄返還交渉を始めることすらできませんでした。
 国家主権を失っていた日本は、沖縄返還を訴える法的根拠を何も持っていなかったのですから。

 日本が独立国家として沖縄返還交渉へのスタート地点に立つことができた日が、まさに1952年4月28日だったのです。

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