支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
2013.03.30 Saturday 03:44
くっくり
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[カメラマン佐藤振寿氏が南京占領の2日後の12月15日、南京安全区にて撮影した写真。佐藤氏曰く「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった」]
支那兵が去ったあと、今度は支那の民間人による略奪が多発しました。
ヴォートリンは、金陵女子文理学院理事会に提出したレポートの中でこう記しています。
【より貧しい人々は寝具や小銭さえも盗まれ、安全区にあってとても安全だった裕福な家の敷物やラジオや家具も盗まれつつある。私達は、12月17日頃から1月17日迄(この日に私は最後の火事を見た)のような大規模な焼却は見ない。
現在の最も大きな悩み事は、「老百姓」即ち普通の人々による略奪が続いていることである。法も秩序も無いこの市のなかで、貧しい無法者は、どの家に入って欲しい物を持ってきても全く自由だと思っている。旧安全区の外では、多くの家が戸や窓や床までもすべてが盗まれている。
ここ数日間、私は良質の戸と窓が売られているのを見たが、それは破壊が進んでいることを意味している。当然、私の中国人の友人はこの件に心を痛めているが、どうすることも出来ない】
(ちなみにヴォートリンが教鞭を執っていた金陵女子文理学院に関しては、12月17日に日本兵が侵入して避難していた難民女性を多数強姦したと支那側が主張しており、南京事件の映画では必ずこの描写を盛り込みますが、それが事実ではないことはヴォートリンのレポートの別の箇所に示されています)
南京で放火、破壊、略奪、強姦を繰り広げたのは、はたして支那人か?日本人か?
ヴォートリンの記録をご覧になった皆さんはどうお考えでしょうか。
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国民党軍による破壊行為は単に民家や建物の放火に留らず、農・工業生産施設、水運・海運、鉄道網などにも及びました。
具体的内容が、1940年3月に南京特別市行政院宣伝局が発行した『中華民國維新政府概史』に掲載されています。
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