支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
2013.03.30 Saturday 03:44
くっくり
彼女が『南京事件の日々』に記したところによれば、支那軍は周辺の村々から住民を連れ出したあと、村を焼き払いました。
そして12月7日、何千人という支那人が安全区に入って来ましたが、彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令され、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのでした。
ヴォートリンは家から離れざるをえなかった大勢の支那人が、空腹を抱え、寒さに震えている様子を、話を聞けた人たちの実名も挙げながら記しています。
そして、「こうした作戦が仮に日本軍の入城を半日か1日遅らせるとしても、人々にこれほどまでの苦難を与えてまでもする価値があるのか疑問だ」と述べています。
12月8日、日本軍の中支那方面軍は南京を包囲。
12月9日、同軍司令官の松井石根は、支那軍に対し無血開城を勧告しました。
しかし、支那軍が開城勧告に応じなかったため、12月10日に進撃を開始し、12月13日に南京城に入城します。
日本軍が入城する前日、12月12日のヴォートリンの記述にはこうあります。
【防衛司令長官の唐[生智]には、麾下(きか)の部隊にたいする統率力が不足しているために、場内のほとんどの場所で掠奪がおこなわれているそうだ。(中略)
いまや日本軍機は意のままに飛来しては爆弾をごっそり投下しているが、高射砲や中国軍機による反撃は何もない。犠牲がほとんど効果をあげていないとすれば、城壁外側のすべての家屋、それに内側の多くの家屋をも焼き払ったことは、とんでもない誤算であったと確信する。
中国の貧しい民衆のほかにいったいだれが、このような破壊によって苦難をこうむるというのだろうか。破壊しないまま南京を引き渡したほうがよかったのではないだろうか】
【夜9時から10時にかけて陳さんと二人でキャンパスを巡回した。洗濯夫の胡さんと、彼の近所に住んでいる農民の朱さんは二人とも、まだ寝ていなかった。今夜彼らは、撤退して行く中国兵を怖がっている。というのも、家族のなかに若い娘がいるからだ】
日本軍が入城した翌日の12月14日にはこういう記述が。
【夜明け前にふたたび城壁に激しい砲撃が浴びせられているようだった。おそらく、きょう主力部隊が進入するさいに、邪魔になる城門のバリケードを壊しているのだろう。ときおり銃声も聞こえた。たぶん、掠奪を働いている中国兵グループを日本軍衛兵が狙撃しているのだろう】
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