支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
2013.03.30 Saturday 03:44
くっくり
河南を訪れたベルデンは、蒋介石が民衆を騙し討ちにかけた事実に驚きました。
共産軍が撤退してほとんど全県を国民党に明け渡した時、住民は地元にとどまって国民党軍を歓迎しました。
【紅軍(共産軍)から村を引き継ぐと、地主もしくは国民党の将校は民衆大会を招集し、大赦を宣告するのだった。「どの村では共産党の土地政策はとても良かった」、国民党はいつもこういうのだった。
「われわれは何ひとつ変更しようとは思わない。われわれは、この村の村長、民兵の隊長、共産党のキャップをのぞいては、すべての人をゆるすつもりだ。だれでも、われわれをおそれる必要は少しもない。しかし、諸君のなかの一部の者は、共産党の宣伝によってまどわされている。諸君が村役場まで出頭して、悔恨(かいこん)状に署名しさえすれば、万事それでよいわけだ」。
そこで、農民たちは出頭した。これ以上良いことはないと思ったので、かれらは村役場へ行って、自分が婦女会あるいは民兵に参加したことを認めた。そういうことをしても、何も悪いことが起こらなかったので、愚直な農民は罠(わな)にかかった。
女房たちは亭主をときつけて、山のかくれ場所から帰ってこさせた。そして、活動的な農民がすべてふたたび村内に入ったと見たときに、国民党は悔恨状の署名者全部をしばりあげて、公然と処刑した。
蒋介石は、抗日や反共に名をかりて、ヒトラーによるユダヤ人大量虐殺さえ顔負けの皆殺し(ホロコースト)を、自国民に対して働いていたのだ】
話を支那事変に戻します。
日本に戦争を仕掛けるに当たって蒋介石が採用した戦術は、いくつかの〝柱″から成り立っていました。
まず、奥地(重慶)への退却と退却に際しての焦土作戦です。
蒋介石は戦後、自著でこれをためらうことなく採用したと自慢しています。
焦土作戦とは侵入してきた敵に利用させないよう、味方の人家や建物、各種施設に火を放ち破壊することです。
したがって、住民は、家や生活手段を奪われ、焼け死んだり餓死したりし、自国民が最大の被害者になりますが、支那では伝統的な戦法でした。
しかし、蒋介石の焦土作戦は常軌を逸し、たいていは無意味でもありました。
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