支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺

2013.03.30 Saturday 03:44
くっくり


 それも、政府が自国の紙幣を借用せず、戦地の政府軍は穀物などで税を取り立てて軍を維持するよう指示されていたのだ(ある将校は私にこういった。「たとえ民衆が死んでも土地は中国のものだ。だが兵士が飢え死にしたら土地は日本軍に奪われてしまう」)】

 ホワイトはこう続けています。

【河南省では、軍隊は土地の収穫高を上回る穀物税を取り立てた。文字通り田畑を空にしたのである。軍隊は、穀物が余っている地域から穀物を運んでこようとはしなかった。つまり人びとの食生活を完全に無視したのだ】

 さらにホワイトは、身の毛もよだつ恐ろしい噂を耳にしました。

【このような悲惨を私は見てきたが、耳にした最悪の話は人喰いの事実があるということだった。人間が人間を殺して食べるなど、見たこともなかったし、まして人肉を味わったことなどない。だがこれは、論駁(ろんばく)の余地ない真実と見えた。たいていの場合、人肉を死体からとるというのが、言い訳になっていた。われわれが記事にしようとした件はどれもこれも、それが弁解の手であった。
 ある村では、母親が2歳になる実の子を茹(ゆ)でてその肉を食べたことが発覚した。2人の息子を絞殺して食べたために告発されたという件もある。また、貧しい子を預かるようにと軍に命令されて、ある農夫が8歳の少年を預かった。ところがいつの問にか少年の姿が見えない。調べてみると、農夫の小屋の傍の大きなかめの中から少年の骨が出てきた。問題は、少年が死んでから食べられたのか、殺されたのちに食べられたのかという点だった】

 ホワイトの当時の推定によると、黄河堤の破壊のあと、洪水被害を受けた県には依然、800万人が生存していると思われました。
 しかし、彼の最終的な計算では、「500万人が死んだか、死につつある」と記されています。


 蒋介石の特に残虐なところは、人々をいったん安心させ、警戒心を緩めておいて騙し討ちにかける手法を繰り返し用いたことです。

 いくつもの例が記録されていますが、ここではもう一度、ベルデンの報告を見ます。

 ベルデンは実は第二次世界大戦終結後にも支那を訪れています。
 蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産軍の間で始まった国共内戦の初期の頃のことでした。

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