支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺

2013.03.30 Saturday 03:44
くっくり


 
 その時のベルデンの記述です。

【来る日も来る日も、荒れ果てた土地、休閑状態の畑、朽ちて倒れかかった人の住まぬ家が並んでいるのを、道を歩きながら見ていると、気が滅入る思いがした。まだひどい旱魃(かんばつ)が起っていないところが少なくなかったので、なぜ畑が見捨てられているのかわからなくて困った。
 そのとき百姓たちは、国民党の徴税吏(ちょうぜいり)と蒋介石軍の徴発吏たちが収穫以上の穀物を要求するために、祖先の田地を立ち去ったのだとわたしに話してくれた。労働の果実がことごとく取り上げられてしまうだけでなく、要求された税に収穫が追いつかないために殴られたり牢屋にぶちこまれるのでは、どうして働くことができようか?】

 国民党は支援どころか、災害に苦しむ農民から苛酷な税を取り立てようとしたのです。
 そのため、農民は畑を放棄して逃げたのでした。

 しかもベルデンが立ち去った翌年、1942年には大干魃が襲いました。

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 そしてその翌年、1943年の2月末から3月にかけて、今度はアメリカの雑誌『タイム』記者のセオドア・ホワイトが現地にやってきました。

 その時の様子をホワイトは後年に出した『歴史の探求』でこう述べています。

【死体があった。洛陽(らくよう)を出てから1時間も経たぬうちに、雪の中に横たわる死体があった。死後1、2日だろうか。その顔は頭蓋のまわりに萎(しぼ)んでいた。たぶん若い女性だったにちがいない。雪はその眼の上にも降り積っていた。埋葬もされぬまま、ついには鳥や犬が骨までしゃぶるだろう。
 犬どもも道端にたむろしていたが、狼の天性に戻ったか、毛並も艶やかでよく肥えていた。われわれは、砂の山から死体を掘り出している犬どもの写真を撮ろうと馬を止めた。なかには半分食べかけのもあったが、犬ははっきりそれとわかる頭蓋骨をきれいにつっつき終わっていた】

 このような残酷な場面を生んだ原因は、先にベルデンが聞き知ったのと同じでした。

【ちょうど近頃の世論調査員がやるように、毎晩私は土地の官吏と話したあと、克明に記録をつけた。そして私が得た結論は、中国政府がその人民を死にいたらしめた、あるいは愚かにも人民を餓死させたという一点に尽きた。政府は抗日戦を戦っていた。そのために情け容赦なく税を取り立てた。

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