「アンカー」安倍政権2つの懸念…日露首脳会談(北方領土)と1票の格差判決
2013.03.28 Thursday 03:45
くっくり
山本浩之
「そうですねえ」
青山繁晴
「当時の報道ぶり、整理しましたから、出して下さい」
村西利恵
「1998年当時の経緯です」
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青山繁晴
「はい。これまずですね、その小渕さん、そもそも小渕さんが総理になる前、同じ年なんですよ? 相変わらず日本の総理はころころ代わってたわけですけど、思い出していただくと、1998年の4月、当時は橋本龍太郎総理ですね。で、橋本龍太郎総理が、エリツィン大統領を、神奈川県、いやごめんなさい、静岡県の伊東市の、川奈ホテルっていう古い名門ホテルに招いて、そこで会談して、何と口頭で、口だけで重大な提案をしたんですね」
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青山繁晴
「その重大な提案っていうのは、この北方領土の地図もう一度見ていただくと、国後・択捉のここに、この、日本とロシアの国境線を、これもう決めて、最終的に決めてここに国境線引きましょうと。それロシア呑んで下さいと。ところが、線は引っ張っても、国境がここになっても、そのあと、4島ともずっとロシアが、事実上支配することを認めるっていうんですね。ま、これもある意味、大胆な提案をしたわけです。これを、口先だけで提案すること自体が、怪しいニュースだったんですけれども、さあこれでどうなるかと、エリツィンさんは答えずに帰っちゃったから、どうなるかと世界が固唾を呑んでいたら、何と日本はその3カ月後に参院選があって、自民党が惨敗して橋本さん辞めてしまったんですよ(一同同意)。でもそれで頓挫したんじゃなくて、そのあと、引き継いだ小渕総理が、その4カ月後、たった4カ月後にわざわざロシアに行って、これは、日本の総理としてはすっごい久しぶりの、20数年ぶりだったと思いますけど、ロシア訪問で、エリツィンさんと会談をしたわけですね。で、その会談をした時に、どうなったかっていうのは、実は報道ではこうだったんです」
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