震災から2年…陛下のビデオメッセージ放映までの経緯(付:政府式典に反対する団体・WBC台湾戦の震災義援金感謝プラカード)
2013.03.11 Monday 01:06
くっくり
この御言葉が放映されるまでにどのような経緯があったか、皆さんはご存知でしたか。
震災が起こった年の夏に発行された、徳間書店【TOWN MOOK 日本の天皇/国難と天皇の歴史】で、皇室ジャーナリストの松崎敏彌さんがその経緯を語っておられますので、要約して紹介します。
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天皇陛下がビデオメッセージをテレビで放映することをお決めになったのは、放映の前日の3月15日でした。
この日の午前中、陛下は、前原子力委員会会長代理(当時。現原子力規制委員会委員長)の田中俊一氏を御所に招いてお話を聞かれました。
現場で原発の危機管理に忙殺されている関係者をお招きになることを差し控えられ、少しでも基礎知識を蓄え、後日現状説明をお聴きになる時の理解の助けにしたいとのお考えにそってお願いしたものだったそうです。
午後は安藤隆春警察庁長官(当時。2011年10月依願退官)から、被害状況の報告を受けられました。
そして、この時、陛下は、このような未曾有の時にあたり、御自身のお気持ちを国民に伝えたいとお考えになり、宮内庁長官、侍従長らとご相談の上、ビデオ収録による陛下のメッセージをテレビで放映することをお決めになったということです。
陛下はご自分とともに長い間、人々の喜び、悲しみに心を寄せられてこられた皇后陛下と、このビデオメッセージについて話し合われつつ、御言葉の作成を進められたそうです。
16日になると、栃木県にある御料牧場が一部被災し、野菜やミルク、ヨーグルト等、全く届かない状況であることが判明し、陛下は心配されましたが、そうした中、御所ではビデオ収録の準備が進められました。
(後に両陛下のご意向で、御料牧場で生産された卵・豚肉・サツマイモなど食料品が避難所に提供されました(読売2011年3月24日))
収録が開始されたのは16日の午後3時でした。
地震や原発の緊急ニュースと重なった時のことを両陛下とも心配され、緊急ニュースがある時は、それを優先させて放送してもらうことを、放映前に各局に依頼されました。
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