三宅久之さんについて改めて

2013.02.26 Tuesday 01:06
くっくり


 【ユーモア忘れぬ記者魂】
 政治評論家 三宅久之さん (2012年11月15日死去、82歳)

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 それは珍しい光景だった。昨年12月20日、東京都港区のホテルで三宅さんの「お別れの会」が開かれた。黒ずくめの衣装ばかりの会場で、そこだけが明るい一角があった。ブルーグレーの地に松の色留め袖を着た女性がいた。三宅さんの妻秀子さんだった。

 夫が新調してくれたこの着物で園遊会に出かけた。しかし、途中で雨が降り出した。三宅さんは「帰るぞ」と言って、有無を言わせず引き揚げた。以来一度も着ることがなくタンスに眠っていた。最愛の人の別れの会に着るのが最もふさわしいと思った。

 「愛妻・納税・墓参り」。三宅さんの座右の銘だった。色留め袖で見送る。愛妻家への何よりのお返しだったに違いない。

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【画像は鈴木邦男さんのサイトより、妻の秀子さんと息子さん】

 毎日新聞の政治記者を務めたあと政治評論家となって35年。多くの人に親しまれてきたのは、「ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などテレビで歯に衣着せぬ辛口の論評だった。

 しかし、一見瞬間湯沸かし器のように怒るその裏には、周到な準備があった。森喜朗元首相が明かしている。「テレビの討論番組に出るときは必ず電話があって、どういうことかと聞いてきた。最後まで記者魂を失わなかった」

 辛口はユーモアで包まれていた。同時代の政治記者として長く交遊のあった渡辺恒雄読売新聞主筆はお別れの会で、「久ちゃんには取材力と表現力、そして一番大事なユーモアの精神があった。人生の機微をつかむのがうまかった」と惜しんだ。

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 発言にブレがなかった。私にも思い出がある。田中真紀子氏の絶頂の頃、真紀子批判はタブーだった。産経新聞の「産経抄」は、“真紀子びいき”のおかしさをテレビできちんと指摘しているのは「三宅久之、岩見隆夫、橋本五郎各氏ぐらいだ」と書いた。

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