沖縄は支那の属国か?いわゆる朝貢体制の本質(付:レーダー照射問題)
2013.02.09 Saturday 03:48
くっくり
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外交使節だろうが、貿易だろうが、中国側は一方的に相手との関係を自国中心的に解釈し、「朝貢」だと決めつけて記録を続けてきた。例えば、明朝時代には長城の北側のモンゴルが軍事的に圧倒的に強く、時々に首都に迫りながら中国からお茶やシルクの供出を求めたが、こうした作戦も「朝貢」と記されている。1912年に清朝が崩壊する直前までイギリスやフランスなど西欧列強は不条理な要求を毎日のように北京朝廷に突きつけていたが、これらの外圧もまた「本日、イギリス朝貢に来たり」などと記録されている。
このように、いわゆる「朝貢制度」とは、自国を世界の中心と仮想する中国人たちの哀れな自己満足のための妄想でしかなかったのである。
朝貢制度は幻想に近いが、中国人の周辺社会への侵略と植民地開拓は実体を伴っている。特に近代に入ってから、満州や内モンゴルなど長城の北側にあって中華世界とは独立した地域にも、数百万単位で中国人が侵入し、原住民との力関係を逆転させた。中華人民共和国が成立した後はまたチベットと新疆のウイグル人の故郷を占領して、「古くからわが国の固有の領土だ」と宣言した。
どれも「平和的な解放」だと謳歌(おうか)しているが、抵抗した少数民族側に数十万人もの犠牲者が出ているのは周知の事実である。このように、中国は常に自己に都合のよい「歴史的記録」を武器に、「解放」という正義の旗を振りかざして周辺世界へと拡大してきたのである。
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そもそも、「朝貢体制」という言葉も日本の東洋史研究者らが中国を相対的に、客観的に捉えるために作った学術的な概念の一つである。中国の朝廷における外交使節が座る席順や珍品の儀式的なやりとりにだけ注目したため、中国がどのように周辺世界に侵略と虐殺を展開していたかなどの重要な事実を見落としている側面がある。
儀式的な「朝貢体制」は歴史上の国際関係の性質を表しておらず、ましてや「沖縄は中国の属国だった」との根拠にもならない。
____________________________全文起こしここまで
大英帝国も支那にかかれば「朝貢国」!(^_^;
「1912年に清朝が崩壊する直前まで」ってことは、阿片戦争でイギリスに負けた後も……ですか!?
世界の常識で考えればにわかには信じがたい話ですが、いやいや、その常識が通用しないのが支那というものですよね。
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