02首相の靖国参拝反対派への反論(中)【暫定版】
2006.08.26 Saturday 04:19
くっくり
・つまり、当時の日本は『A級戦犯』『BC級戦犯』を「赦し」たのです。これにより、日本の国内法上「戦犯」はもはや存在しなくなりました。なのに当時の国民の総意や国会決議を無視して、半世紀以上も経ってから、しかも中韓の抗議に配慮する形で、「『A級戦犯』は分祀すべきだ」と言い出すのは、勝手すぎやしませんか?
<5>-(2)-3 東京裁判史観にとらわれるな
・加藤紘一議員は「国際社会では『処刑は終わった。戦犯たちは亡くなったのだから、もうあの戦争に関する責任問題も終わり』というわけにはいかないのです」と語っていますが、そこには、講和条約と「戦争責任」に対して根本的な誤解があります。
そもそも講和条約とは、「戦争中に一方の交戦国の側に立って違法行為をおかしたすべての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」(C・G・フェンウィック『国際法』)法的効果を持っています。戦争が燃え立たせた国家間の憎悪を鎮めるため、戦争犯罪を全面的に忘却し、以って国際社会の平和と安寧を維持しようというのが講和条約の主旨なのであり、国際法では「アムネスティ(大赦)条項」と呼ばれます。
簡単に言えば、講和条約の締結をもって政治的には戦争責任問題をすべて水に流そう、というのが国際慣行なのです。サンフランシスコ講和条約と関連の平和条約(日中平和友好条約も含む)を締結したことをもって、日本は国際法上、戦争責任はすべて解決したのです。
・もちろん、学問として戦犯とされた方々の功罪を論じることは自由です。しかし学問的に議論することと、国内法上犯罪人でない方々を追悼の対象から外すという行政措置とを混同すべきではありません。
・東京裁判が終わって2年も経たない朝鮮戦争最中の1950年(昭和25)年10月15日、マッカーサーはトルーマン大統領とのウェーキ島会談において、「東京裁判は誤りであった」と報告し、更に帰国後の1951年5月のアメリカ上院の軍事外交委員会において、「この故に日本が戦争に入った目的は、主として自衛のため余儀なくされたものであった(Their purpose, therefore, in going to war, was largely dictated by security)」と証言しました。その後に述べている事は、本質的に自存自衛のための戦争であったとする東条英機被告の宣誓供述書と同じ内容です。
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