02首相の靖国参拝反対派への反論(中)【暫定版】
2006.08.26 Saturday 04:19
くっくり
・「思いつきブログ」hit on!さん>靖国神社 外国人参拝者(3)A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(H12〜H14)
<4>-(6) ドイツの首相がヒトラーの墓に参るようなもの?
・「『A級戦犯』が祀られている靖国神社への参拝は、ドイツの首相がヒトラーの墓に参るようなもの」と言う人がいます。中韓だけでなく日本にもいます。が、日本とドイツでは全く事情が異なります。日本にはヒトラーのような独裁者はいませんでした。
東京裁判の焦点は、『A級戦犯』らが「平和に対する罪」の訴因第一の「共同謀議」をやったのかどうか、つまり1928(昭和3)年から1945(昭和20)年まで、『A級戦犯』らが世界侵略の野望をもって一致団結して戦争指導をしたのか?が問われたことでした。もちろんそんな事実はありません。「共同謀議」の対象とされた1928年〜1945年の間に内閣は18回も変わっているのです(内閣総理大臣の一覧(wikipedia)を参照)。
・ドイツではヒトラーが1933年に首相、1934年に総統となり、1945年に自殺するまで「独裁体制」で、その間、ラインラント侵入、オーストリア併合からポーランド侵攻、第二次大戦と、全ての軍事行動はヒトラー以下ナチス幹部の「共同謀議」による、一貫した政策に基づいて行われました。
それに対して日本では、1931年満州事変、1937年支那事変、1941年大東亜戦争の時の内閣が全部違います。政府方針に背いて満州事変を起こした石原莞爾が支那事変には反対したように、立案・遂行した者も別々。一貫した政策もなく、政府と軍の足並みは揃わず、軍の内部でも対立があり、国内の意見は割れ続けていました。なのに東京裁判で検察団は「1928年から1945年まで、『A級戦犯』の28人が共同謀議し、一貫して満州、中国、東南アジア、太平洋、インド洋地域を侵略、支配すべく陰謀を企て、実行した」というストーリーを作り出しました。
・『A級戦犯』の1人、賀屋興宣は起訴状を読んで、「軍部は突っ走ると言い、政治家は困ると言い、北だ南だと国内はガタガタで、おかげでろくに計画も立てずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」とむしろ恐縮したそうです。確かに、「共同謀議」ができたくらいなら、アメリカとももっとましな戦争がやれたことでしょう。
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