真珠湾攻撃の日に特別攻撃隊について改めて考えてみる

2012.12.08 Saturday 02:04
くっくり



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 こちらは同じく『知覧特別攻撃隊』から、特攻銅像「とこしえに」です。

 昭和49年、英霊をまつる特攻平和観音堂の参堂の傍に建立されました。
 銅像の銘碑には次のように記されています。

【特攻像「とこしえに」の由来

 特攻機は、遂に帰ってきませんでした。
 国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征(い)ったにちがいありません。
 特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。
 み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝ
 りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて、
 ああ、開聞の南に消えた勇士よ。】

 彼らの祖国への愛、家族への愛、そしてまだ見ぬ子孫への愛がどんなに深く尊いものであったか。
 遺された日記や手紙を読むと、それが痛いほど伝わってきます。

 この『知覧特別攻撃隊』は1989年に刊行されたものです。
 私が購入したのは改訂版第16刷で、発行年は2001年となっています。

 郷土出版物ではありますが、このように刷を重ねているので、今でもネットなどで新品が入手可能です。

 たとえば、こちらの地元書籍会社でも販売されています。

 なお、アマゾンでは『新編 知覧特別攻撃隊』が販売されています。
 表紙の色や編者が変わっていますが、大まかな内容は変わっていないようです。

 興味を持たれた方はぜひご購入下さい!

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 私は特攻隊と聞くと、いつも西田高光中尉の言葉を思い出します。

 西田中尉は知覧と同じ鹿児島県の鹿屋基地から出撃された方です。
 昭和20年5月11日のことでした。

 出撃の少し前、西田中尉は、当時海軍報道班員であった山岡荘八氏に、このような話をされています。

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