真珠湾攻撃の日に特別攻撃隊について改めて考えてみる
2012.12.08 Saturday 02:04
くっくり
「どんなことをしてでも征ける」
と言い張ってききませんでした。手が動かせないので風呂に入っていないということでしたから、わたしはすぐに風呂をわかして入れてあげました。背中を流していると涙が出てきてしようがありません。
「おばさん、なぜ泣くの?」
と言うので、わたしは、
「おなかが痛い」
と言ったんです。すると、
「おなかが痛いんだったら明日は見送らなくてもいいです。からだを大事にするんですよ」
と言うのです。髭(ひげ)をぼうぼう生やした人でした。そして中島さんは、6月3日に、操縦桿と首を自転車のチューブでくくりつけて飛び立って行ったんです。
勝又勝雄少尉はとてもお酒の好きな人でしたが、わたしにこう言ってくれました。
「おばさん、僕たちは年齢(とし)をほんのわずかしかもらえないから、残りはおばさんにあげる。だから、からだを大事にして長生きして下さい」
たった一人だけ「日本が負ける」と言った人がいました。園田少尉でした。4月8日のことでした。
「そんなことを言うと憲兵が連れて行くよ」
と言ったら、
「もう自分たちは死ぬのだから、何も恐いものはない。ただ、征けという命令で征くのではない」
という答えでした。そんな言い方をしたのは本当に園田少尉だけでした。
宮川三郎軍曹は出撃の前夜、わたしのところにあいさつに来られ、
「明日わたしは沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきたときには、宮川、帰ってきたかと喜んでください」
と言うので、
「どんなにして帰ってくるの?」
と尋ねたら、
「ホタルになって帰ってくる」
と言うのです。そしたら、約束の時間にホタルがやってきたんです。富屋食堂の裏に小川が流れていたのですが、そこに、一匹の大きなホタルがやってきて、白い花にとまったのです。本当に大きなホタルでした。思わず、みんなに、
「このホタルは、宮川サブちゃんですよ」
と言ったんです。そして、みんなでそのホタルを見ながら『同期の桜』を歌いました。
特攻の方々が征かれるときはにっこりと笑って、嫌とも言わず、涙ひとつ落とされませんでした。さぞ肉親の方々にも逢いたかっただろうに、日本を勝たせるために、早く征いかなければと、ただそればかりを言っていました。】
宮川軍曹が「ホタルになって帰ってきた」というお話は、本や映画などでたびたび紹介されてきましたから、ご存知の方も多いでしょう。
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