「アンカー」両陛下が元白梅学徒隊とご対面&白梅の塔ご訪問が実現しなかった理由
2012.11.22 Thursday 02:27
くっくり
「あの、皆さんこの、5年前の8月15日、私たちの祖国は初めて戦争に負けた、日、から、この5年間、この『アンカー』を見ていただいた(少しこみ上げる)、視聴者の方、皆さんです、ずいぶんたくさん、この、白梅の塔に、行ってくれました。本当にこの、生き残りの、お一人の、今は同窓会長なさってる中山きくさん、たちも本当に、この『アンカー』の視聴者の方々に、感謝なさってます。そして、さっききくさんと一緒に、自決壕の中、入っていきましたね。その自決壕の一番突き当たり、あの、僕は今でも、もう、行くたびに、33年間お参りしてても身体震えるんですけど、どうしてかというと、オカルトじゃなくて、本当にありありと、おかっぱ頭や、お下げ髪の少女、今日最初に写真見ていただいたああいう少女が、永遠に、15歳16歳17歳の少女のまま、そこにいらっしゃるんです。恋をまだ知らない、恋も知らないうちから、自分のためではなくて、人のためにみんなのために、自決なさった方が、あの壕に今日もありありと、いらっしゃいます(涙)。そして、僕をそこに最初に連れてってくれたタクシーの運転手さんが何とおっしゃったかというと、あそこの敷地は広いんです。ちょっと小高いその塔のあたりからこうやって、手を広げてお示しになって、青山さん見て下さい、誰も来ないんだと。これ沖縄県民、ウチナンチューはずっと被害者でいるけれども、本当は私たち沖縄県民、ウチナンチューだって沖縄戦の本当のことを知らないんだと。あなた記者だったら、本土の人間、ヤマトンチューが、沖縄戦のことを沖縄の人だって知らないって言うとおそらく、たくさん嫌がらせも受け、非難もされるだろうけど、あなた記者だったらそれを、我が沖縄県民に、この白梅の塔も含めて、残り8つの学徒看護隊もあるんだよ、ひめゆりの碑だけじゃないんだよ、ひめゆりも大きな悲劇だけど、他の人は報われずにずっと来てるんだよってことを伝えて下さいと、おっしゃって、そしてその約束があったから、この『アンカー』で、ようやくそれを実現することができたんです。そしてこの5年間、僕はこの白梅の塔について何をしてきたかというと、天皇皇后両陛下が皇太子殿下ご夫妻の時代に、ひめゆりの塔に行って下さったおかげで、学徒看護隊そのものは、その沖縄県民にももう一度思い出され、そして、本土の私たちにも、強く、あの、知られ、そして、たくさんの方がそれで報われたんですが、もう一度申しますが、あまりにも天皇皇后両陛下の皇太子殿下ご夫妻(時代)の、振る舞いが素晴らしかったために、皆さんご記憶ですか、あそこで、火炎瓶などを投げられた時に、その、ご夫妻は、自分たちのことを心配されるんじゃなくて、その、学徒看護隊の生き残りのほう、に、ずっと目線を送っておられるんです、ご自分たちを心配されるんじゃなくて。そういうことも沖縄県民の心を動かし、ましたから、その結果として、ひめゆり、だけかのように誤解された。ひめゆりの学徒看護隊の方々にとってもそれは誠に、不本意なことなんですね。9つ全部を同じように扱っていただきたいというのが、沖縄の今『おばあ』になられた方々の、共通の願いですから、だから僕は、宮内庁長官をはじめ、宮内庁や、えー、警察庁、そういう方々と会ってですね、あるいは沖縄県とも交渉をして、えー、天皇皇后両陛下に白梅の塔に行っていただきたいってことを、お願いし、続けました。で、僕の、その、いわば動きの影響はほんとに小さなものだと思います。宮内庁や警察庁、警備担当の警察庁や、その何よりも沖縄県庁の大きな努力があって、えー、んー、えー、白梅の塔に行幸されることは残念ながら今回は叶わなかったけれども、実は今回、えー、海づくりの行事のために、両陛下が行かれたにあたって、空港からまず、沖縄の南部戦跡の所に、平和祈念堂、祈念ってのは祈る、念ずるですね、平和祈念堂って所に、寄って下さって、そこで、この今写ってる、中山きくさんたちと、初めて、対面していただいたんです」
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