「アンカー」両陛下が元白梅学徒隊とご対面&白梅の塔ご訪問が実現しなかった理由
2012.11.22 Thursday 02:27
くっくり
村西利恵
「沖縄戦に動員された、女子学徒隊は、全部で9つあります」
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青山繁晴
「はい。えー、皆さん、この、今は、学徒看護隊って言い方をしてますね。で、実際の戦争当時は、単に学徒隊って言い方だったそうです。ただ任務というのは、まさしく看護であって、たとえば野戦病院に派遣された。野戦病院って言ったって、これからVTRで見ていただきますが、あの、いわばただの洞穴ですね。そこに、ちぎれた足の兵士や、ほんとに頭が割れたままの兵士が運ばれてきた、そこで看護なさった、あの、15から19歳までの少女たちがいらっしゃったんですが、皆さん見ていただくと、さっきも言いましたが、ひめゆり学徒看護隊は、もう極めて有名ですよね。もう映画にも何度も何度もなりました。それはどうしてかというと、ひとつには、いわば、当時の沖縄の、女学校のエリートだった、第一高等女学校、一高女(いちこうじょ)って言います。それから沖縄師範学校女子部の、その、エリートの、エリートでも悲劇は全く同じですよ? でも、エリートの、ひめゆり学徒看護隊だったから、天皇皇后両陛下が、皇太子殿下ご夫妻の時代に、ここに行かれたんですよ、自決壕に、ひめゆりの塔にですね。で、従ってここは観光地にもなり、映画化され、それはずっと覚えられてるんだけども、皆さん、それ以外に何と8つあるんですよ。今日のお話の白梅学徒看護隊や、あるいはこのへん(瑞泉、積徳、悌楼)は、私立の女学校ですね。で、あるいは、本当から離れた島の女学校(宮古高女、八重山)、あるいは、農学校の、女子の、方々、つまり少女の方々、まで、全部で9つあったのに、ここ(白梅)から下は、もう沖縄でも、ほとんど、実は忘れられているわけです。で、えー、じゃあ僕だけが、知ってたのか。違います。僕だって、ひめゆり部隊は知ってたけど、この白梅以下は全く知らなかったんです。そして今から33年前に僕が共同通信の新聞記者だった時に、最初の夏休みに沖縄行きました時に、たまたま、僕を、戦争の跡を案内してくれたタクシーの運転手さんが、あなた若いのにこんな陰気なとこばっかりどうして回るんですかと聞かれたから、いや、実は僕は今まで言わなかったけれど、新人記者なので、その、僕はダイバーでもありますけど、村西さんもダイバーだけど、今回は青い海行かずに、戦争の跡を自分の手と足で回りたいんですって言ったら、そのタクシーの運転手さんが、あなた記者なのか、記者だったら行くとこが違うんだよとおっしゃったんですよ。それまですでにひめゆり行ってたんですけども、行かなきゃいけないとこは実は別にあるんだとおっしゃって連れて行って下さったのが、この白梅学徒看護隊が自決し、そして、遺骨が置かれている、そして慰霊塔がある、場所だったんですね。これ実は、今から5年前に、この『アンカー』のこのコーナーで放送いたしました。皆さんそれを一緒に見ていただけますか。どうぞお願いします」
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