「アンカー」両陛下が元白梅学徒隊とご対面&白梅の塔ご訪問が実現しなかった理由
2012.11.22 Thursday 02:27
くっくり
image[121121-02frip.jpg]
山本浩之
「『新しい光』」
青山繁晴
「はい。実はこのコーナーの最後にさっきの写真もう一度見ていただきますが、そこにも、実は新しい光が差してるんです」
山本浩之
「はい。それでは、コマーシャルをはさんで青山さんの解説です」
(いったんCM)
山本浩之
「沖縄の白梅学徒隊、については、このコーナーでも、青山さんが何度か、お話をされていますけれども、総選挙を控えたこの時期に、もう一度、見つめ直していただきたいというふうに思います。お願いします」
image[121121-03title.jpg]
青山繁晴
「はい。皆さんまず、この、画面見ていただけますか、このパネルをね。あの、これは本当にあの、僕は、今、生放送の直前に、このスタッフの作ってくれたこのパネル見てですね、ほんと感動したんですよ。あの、ほんとに、あの、徹夜で、仕事で、こういうパネルを作ってくれたスタッフに、あの、ほんとに感謝したいですよ。これ素晴らしい写真だと思いますね。天皇皇后両陛下の、この穏やかな眼差し、これも素晴らしいですけど、皆さんこっち(左)見ていただくと、今から70年ぐらい前の、昭和16年から20年にかけての、沖縄の、えー、第二高等女学校、えー、その第二高等女学校の学校のマークが、この白い梅だったんですね。で、皆さんご覧になってるこの当時の、少女たち、このおよそ半数が、この沖縄戦で、私たちの先輩の看護をしている時に、追い詰められたり、あるいは米軍の火炎放射器で焼かれたり、追い詰められた挙げ句、自決なさったりして、少なくとも半分以上の方が、失われたんですね。えー、亡くなったわけです。それを、両陛下がご覧になってるっていうふうに見える、この写真ていうのは、あの、僕は本当に素晴らしい写真だと思います。そして、天皇皇后両陛下、当然ながら、あの、私たちの昭和天皇の次の代の、125代天皇陛下でいらっしゃるんですが、昭和天皇におかれては、これも皆さん、あまりにもご存知の通り、先の大戦当時の陛下でいらっしゃって、そして敗戦後、これは私たちも学校で習いましたけれども日本各地を、回られた。しかしその中で、沖縄だけが、ついに昭和天皇は行幸され、たいって希望は、ほんとにお強かったのに、行くこと、行かれること、叶わず、崩御されてしまったんですね。で、そのご遺志を受け継がれて、今上陛下におかれては、その、いわばお父様の、お父様なんて言い方は適切じゃないでしょうが、先の昭和天皇のご遺志をよくお分かりになってるからこそ、皇太子殿下ご夫妻の時代から、今回、9回に渡って、えー、沖縄を訪れてらっしゃるんです。えー、体調も決して万全でいらっしゃらない時にも、沖縄だけはほんとに優先して、今回も含めて、訪れていただきました。えー、今回も、海に関する行事はあるんですけれども、根幹にあるのは、宮内庁の方々のお話を聞いても、沖縄への、深い深い思いがあって、行かれたと、いうことなんですね。で、ところが、その、たとえば両陛下が9回に渡って、沖縄を訪れておられても、未だに忘れられたまま、報われない人たち、あるいは、顧みられなかった出来事も、実はまだ、残っているんです。それは何かというと、それがこれなんです」
[7] beginning... [9] >>
-
trackbacks (2)
<< 「アンカー」中国による日本の土地買収問題第2弾!有本香さん現地取材
橋下氏の「韓日交流マダン」画像拡散ちょっと待った! >>
[0] [top]