2012.11.17 Saturday 03:53
くっくり
では、民主党はどうだったのか?右から左まで良くも悪くも幅がありスタンスが決まらない。でも、若い政党でしたから私はこれからコンセンサスを得ていく可能性はあるのではないかと思っていました。
また、私の専門分野は社会保障ですので、当時、高齢社会に突入したことを受けて、制度のあるべき姿については民主党が優れていると思いました。選挙直前は、年金問題が特にクローズアップされといる時でした。
しかし、党内で議論する中で、外交安全保障はご覧のとおり、社会保障については、負担と給付の両輪議論ではなく、給付ばかりに焦点が集まる。私の考えと増々隔たりが大きくなっていきました。
他、外国人地方参政、夫婦別姓、人権委員会設置法案、TPP、領土等、そして、決定打は、天皇、皇室、憲法改正に関する議論でした。※これらは以前ブログで記したのでそちらをご参照下さい。
「ここにわたしはいても良いのだろうか?」という疑問が、いつも心の中を占めていました。議論をしてコンセンサスを得ることが出来ると思っていた、でも、平行線、いや、敵対関係。孤立しました。
いつも孤独でした。
離党は「出て行ってやる」ということではなく、「ここにいてははならない」という感情が素直なところです。資本主義、自由主義、社会主義、共産主義等、アナーキストは困りますが、いろいろな政治主義の概念があるということは「尊いこと」だと思います。私はその存在を否定するほど傲慢な人間ではありません。それぞれの考えがあるそれをぶつけあう、議論する、結果を出す。これが民主主義です。
そして、私は自身の信条に照らし合わせて、「これから民主党が目指す方向は間違っている、国益に反する」と判断をしました。その政党で選挙を戦わせて頂くことはあってはなりません。
私の主義主張は一貫して今までも、これからも変わりません。そのステージを移る決断をしました、それが離党です。ここは私が踊ってはならない舞台なのです。
それでも、そんな長尾たかしを10年間も懐深くお育てを頂いた。常任委員会、特別委員会でも理事を拝命、幹事長補佐、政調会長補佐、WT役員等、特に歴史的な議論となった厚生労働委員会、社会保障と税の一体改革特別委員会に抜擢頂き、一年生議員にも関わらず、素晴らしい舞台を頂きました。本会議壇上で演説もさせて頂きました。
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