カンボジア軍が自衛隊に笑顔で握手を求めた理由
2012.09.03 Monday 19:41
くっくり
当時のカンボジアはポル・ポト派がうようよいて国中はめちゃくちゃ、国軍を維持するどころか政権維持すら危うい状態でした。
しかし明石康特別代表が指揮するUNTACは、文民警察官の高田晴行警視と国連ボランティア中田厚仁さんの尊い犠牲を乗り越えて、初の国政選挙を実施し、平和の礎を築いたのでした。
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【地雷・不発弾等の除去作業にあたる自衛隊の施設部隊】
特に自衛隊の施設部隊は、大きな活躍を見せました。
施設部隊の主要業務は、当初は、内戦などで荒廃した国道2号線及び3号線の道路や橋の修理などでした。
しかしその後、UNTACからの要請を受けて、UNTACの構成部門などに対する給水、給油、給食、医療、宿泊施設の提供の業務や物資などの輸送、保管の業務などが追加され、幅広く活動することとなりました。
施設部隊は、昼間は40度を超える猛暑といった厳しい環境のもと、さらには作業地域付近には不発弾などがある危険性もある中で、粛々と任務をこなしました。
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【カンボジア・タケオ市で、地元市民の協力を得てPKO活動を行う自衛隊員】
その甲斐あってカンボジアは復興し、新国軍を創設し、PKO活動にも将兵を派遣できるほど成長しました。
自衛隊の汗と涙が結実したのです。
それから20年の歳月が流れ……。
お互い祖国から1万キロ以上も離れた南スーダンの大地で、カンボジア隊と日本隊は思いがけなく巡り会ったのです。
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宮嶋さんによれば、日本隊に握手を求めてきたカンボジア軍将校らは、「ありがとう」などと野暮なことは言いませんでした。
こういうことは、口には出さなくても通じるものなんですね。
特に、誰もがうらやむ国連MPとなった若き女性カンボジア将校の笑顔の中に、万感の思いが込められているのを宮嶋さんは感じました。
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