竹島侵入・陛下侮辱・親書返送…李大統領はあといくつ線を越えるの?
2012.08.25 Saturday 01:21
くっくり
■【時論】野田首相の親書に罠あり=韓国(1)(中央日報2012年08月23日09時05分)
果たして独島は日本が自国の領土と強弁する根拠が少しでもあるところなのか。1954年に日本側が国際司法裁判所(ICJ)提訴を最初に提案した際、卞栄泰(ビョン・ヨンテ)第3代外務部長官が雄弁したように、独島は日帝が大韓帝国侵略の過程で最初の犠牲物としたところだ。日本が日露戦争遂行を目的に韓国領土を自由に利用するため、1904年2月に韓日議定書を締結したのに続き、同年8月には第1次韓日協約を強要し、さらに1905年2月に大韓帝国の領土の独島を不法的に編入する措置を取ったのは、誰もがよく知っている歴史的事実だ。このように独島は領土問題ではなく歴史問題に属する。韓国が光復(解放)67年を迎え、改めて独立の意義を再確認しているこの時期に、独島が韓国領土であることを日本が否認するのは、韓半島侵略を正当化し、韓国の独立と主権を否定する行為にほかならない。
竹島については、日本も韓国も「こちらが先に存在を知ったから、こちらの固有の領土」と主張しています。
古文書、古地図などの資料を出して解説し始めるとちょっとキリがなくなるので、今回はパスします(解説しているサイトがたくさんあるのでそちらをご覧下さい)。
が、少なくとも江戸時代、日本の島根県民は、竹島を拠点として漁をしていました。
もちろんこの当時、日本は鎖国をしていました。
幕府が竹島を外国だと認識していたのであれば、竹島に対する渡海を禁じていたはずですが、そのような措置はなされませんでした。
image[120824-05asika.gif]
【画像は山陰中央新報社より。明治期の竹島でのアシカ漁】
1905年に日本政府は竹島を島根県に編入しましたが、これは合法的に行われたものです。
当時の大韓帝国も抗議をしていません。
韓国側は「編入の通達がなかったから無効だ」と主張していますが、国際法的に編入した日本にはそもそも通告の義務はありません。
竹島の領有権について日韓が争うきっかけとなったのは、1952年1月、韓国側が公海上に突如、李承晩ラインと言われる軍事境界線を引いたことです。
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