【終戦の日2012】外国人から見た日本と日本人(35)

2012.08.14 Tuesday 02:54
くっくり


■鄭●永(チョン・ギヨン。●は「王」ヘンに「其」)=韓国人。元学徒兵。30年の歳月をかけ、1999年(平成11年)、私財をなげうって大東亜戦争における韓国人戦没者の慰霊碑である「太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑」を釜山・永楽墓地に建立した。
 反抗的であれ従順的であれ、また逃避的であれ妥協的であれ、いずれにしてもその学徒兵生活を通じて一時なりとも民族を忘れたことがあろうか。

 私は学徒兵の同志にも話しているのですが、その当時、日本の気持ちとはちがいながらも、日本が金をかけて私達学徒兵を教育してくれたことが、韓国の建国に貢献したんです。日本が最後の土壇場でしてくれたことをありがたく思いましょうと。

 日本と韓国は、お互い良いところは認め合いながら、もっと過去を昇華したかたちで手をとらなければならない。

○朴甲東(パク・カプトン)=韓国人。1919年(大正8年)、朝鮮慶尚南道生まれ、早大卒。朝鮮戦争後、北朝鮮へ入り、北朝鮮文化宣伝省ヨーロッパ部長に就任。1957年(昭和32年)、北朝鮮を脱出して日本へ。1992年、モスクワで朝鮮民主統一救国戦線(反金日成亡命政権)を結成、就任議長に就任。
「正論」2006年12月号【私が知っている東條英機の実像】より

 東條は昭和16年10月17日、大命を拝命し、敷かれた軌道に乗せられるようにして、12月8日、ついに対米、英戦争に突入したのです。

(中略)大東亜戦争の始まりは、日支事変、国際連盟脱退、日独伊3国同盟など、一連の流れの中で見ないといけません。決して、東條英機が首相になってからの昭和16年12月8日に始まったのではないのです。孫の由布子さんは、「戦争は長い歴史の中の1ページ。東條1人で濁流を押し戻そうとするのは無理だった」と話しています。

 私は、東條英機に戦争責任がないとはいいません。ただ、大東亜戦争のすべての責任を彼だけに背負わせるような論調や風潮がおかしいと思うだけです。

■相林(ソウ・リン)=中国人。「中国民主化運動海外連席会議」のアジア地域代表。天安門事件の後に日本に亡命。

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