【終戦の日2012】外国人から見た日本と日本人(35)

2012.08.14 Tuesday 02:54
くっくり



 曾野さんの夫の三浦朱門さんも、同級生をあちこちの戦場で亡くされているそうです。

 うち一人は小学校の同級生で、三浦さんが彼の家にお線香を上げに行かれたところ、そのお母さんは彼を家に入れず、玄関に立ったままこう言われたそうです。

 「あなたが生きていてね、うちの子が死んでしまったってことがどうしても納得できないんですよ」

 その言葉は三浦さんの胸を突き刺しました。そして再びそのお母さんを悲しませないために、自分がその家を訪ねるのは止めようと思われたそうです。

 他にもアンダマン諸島の上空で散ったお友達がいるものの、三浦さんはこの人の実家にも行かれたことがないそうです。

 このように、戦後、戦死した友達の家族を訪ねたくても訪ねることができない人が大勢いるのです。そういう人たちが戦死した友達と出会える場所は、靖国だけなのです。

 戦死を予期し、お互いにこれがこの世で会う最後かと思いつつ、「また会おうな」と曖昧な言葉を言い交わして別れた……、という光景が戦時下で多く見られました。

 その時、お互いの心には、再会の場所として靖国があった、あそこならお互いに「迷わずに会える」と思った、と戦前の人は言うそうです。

 元八重岳電波警戒隊通信兵・角田松雄さんの証言は、その代表的な例でしょう。

 「日本人ですからね、降伏ということは知らんから、もうこれは全員、もうここで戦死やなと、みな覚悟を決めましたよ。私もその一人ですがね。その時にね、何を言うたか、涙が出ますがね、みんなで靖國神社で会おうね、言うたもんですよ。靖國神社で会おうねと。靖國神社に代わるね、国営の戦没者墓地を造ろうなんて言うてましたがね、わたしゃあね、戦友たちが何と聞いたじゃろうて、涙が出ましたよ。みんな靖國神社で会おうねて、誓いおうて死んだんですよね。あの魂がね、靖國神社の中の魂が、日本の国を護っとるんですよ、今でも」(映画「凛として愛」より)

 戦後生まれの私(及び多くの読者様)にとって、戦争を知識としては知っていても、当時の人たちの心の機微といったものには、なかなか想像が及ばないものです。

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