【終戦の日2012】外国人から見た日本と日本人(35)

2012.08.14 Tuesday 02:54
くっくり


 来るべき時代の到来を妨げず、完全に己を没しさった。
 多くの日本人が自ら命を断ち、残された人々は、沈黙と勤労のうちに耐える道を選んだのだ。

■ジャーク・プズー・マサビュオー=フランス人。1930年(昭和5年)生まれ。人文地理学者。日本に活動基盤を置き、東京大学教養学部、中央大学、早稲田大学、奥羽大学などでも客員、非常勤として教鞭をとった。
「新朝鮮事情」より

 朝鮮は日本の植民地政策と、組織的な経済近代化改革の影響を受けた後、再び独立の機会を得て、1000年以上の間、農民の宿命であった不安定な境遇を改善することができたのである。

〈中略〉現代の朝鮮人の目には、日本植民地時代の悪い面が、伝統と孤立に対する純然たる侵害として非常に大きく映っているのであるが、その反面、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基盤は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったといえる。日本は、約四十年ほどの間に厳しいやり方で、自然の脅威にさらされ大きな工学設備を持たないまずしかったこの農業国家を、科学的な農業とさまざまな工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和の取れた国へと変身させた。

■モーヘン・ナオレム=インド人。映画監督。
産経新聞2012.6.24付【「気品ある日本兵の姿を」 インド人監督がインパール作戦題材にメガホン】より

 【ニューデリー=岩田智雄】インド人の映画監督が今秋、第2次世界大戦で日本軍が大敗を喫したインパール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。

 メガホンをとるのは、モーヘン・ナオレム氏(34)。「マイ・ジャパニーズ・ニース」(私の日本人のめい)と題された作品では、インパール作戦で戦った日本兵のめい「アサダ」が戦後、現地を訪れる。すると、おじが夢の中である村を訪ねるようアサダに呼びかける。そこでアサダは、日本兵らが残した数々のメモや日記を発見するというストーリーだ。


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