子供たちに教えたい森川清治郎と広枝音右衛門

2012.07.30 Monday 19:22
くっくり


 広枝音右衛門警部です。
 苗栗県獅頭山の権化堂に祀られています。

 小田原出身の広枝音右衛門警部は、1930年に台湾の新竹に巡査として配属されました。

 その後、大東亜戦争の戦線拡大により、台湾人2000人による海軍巡査隊が結成されます。
 広枝警部はその総指揮官として、2000人とともにフィリピンのマニラに送られました。

 広枝警部は厳しいながらも優しい性格で、自ら率先して動き、各部隊員を励まし、勇気づけていたため、非常に慕われていました。

 ところが戦況は悪くなる一方。
 ついに司令部から玉砕覚悟の総攻撃命令が出ます。

 これを良しとしなかった広枝警部は、敵の米軍と秘かに交渉し、台湾人の生命の安全保証を取り付けます。

 そして部下に対し、「祖国台湾には君たちの帰りを待っている家族がいる。ここで犬死にすることはない。私は内地人(日本人)だ。責任は私がすべて取る」と訓示しました。

 2000人の部下たちは、声もなくすすり泣いたといいます。

 広枝警部にも家族がありましたが、彼はただひとり、敢然と自決したのです。
 享年40歳でした。

 台湾人2000人は無事に帰還することができました。

 そして戦後、広枝警部は神として祀られたのです。


※広枝音右衛門警部についての詳しいお話は、このサイトをご覧下さい。
酒たまねぎやさん>廣枝音右衛門(広枝音右衛門)

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 私が森川清治郎巡査と広枝音右衛門警部を知ったきっかけ、それは黄文雄さんの著書「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」でした。

image[120409-01kou.jpg]

 この著書については、12/4/9付:「告日本國」ポール・リシャールが日本に託した“七つの大業”でも少し紹介しました。

 黄文雄さんはこの著書の中でこう述べておられます。

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