子供たちに教えたい森川清治郎と広枝音右衛門
2012.07.30 Monday 19:22
くっくり
こんな話も残されています。
ある日、怪我をして海中で泣いている漁師を見付けた森川巡査は、海に飛び込みその漁師を救助し、そこから2キロほど離れた家まで背負い介抱しました。
その後、救助された漁師よりも森川巡査の方が大怪我をしていたことを村民たちは知り、森川巡査の献身に涙したそうです。
ところが、その後、悲劇が森川巡査と副瀬村を襲います。
1901年から、台湾南部に大干ばつが発生。
にもかかわらず、総督府は新たに漁業税を実施したのです。
ただでさえ大干ばつで農業に大きな影響を与えていたところに、漁業にまで課税されては貧しい村民はとても生き延びていけません。
村民たちの嘆願を受けた森川巡査は、台南州東石支庁まで出向き、必死に村民の実情を訴えました。
ところが、当時の東石支庁長は激怒。
この陳情を森川巡査が村民を扇動しているものと曲解して、逆に戒告処分に処してしまったのです。
森川巡査は村民に向かって沈痛な面持ちで、陳情が届かなかったこと、それどころか誤解をされて戒告処分という扱いを受け、同僚や村民にまで迷惑をかけることになってしまったことを伝え、ひたすら自らの非力を詫びました。
その2日後の朝のことです。
宿舎兼派出所の西南にある慶福宮から一発の銃声が聞こえました。
驚いた廟守が現場に駆け付けると森川巡査が倒れていました。
森川巡査は自決したのです。
後に東石庁長から駆け付けた警部が遺品を調べると、ポケットから一枚の名刺が出て来ました。
そこには「疑われては弁解の術もない。覚悟する」と書かれていたそうです。
慈父とも慕う森川巡査の悲報を聞き、村民たちは遺体にしがみついて嗚咽したそうです。
享年42歳でした。
森川巡査は、村民たちの手によって、村の共同墓地に埋葬されました。
この事件により、総督府は大騒動になりました。
森川巡査の訓戒処分は取り消されました。
台南州知事は警察官の鑑として森川巡査を表彰しました。
そして、税金については、査定に誤りがあったという名目で村民全員が再申告した結果、従来と同様の税額で落ち着くことになりました。
森川巡査は文字通り身を賭して、重税の苦から村民たちを守ったのです。
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