旧日本兵らが支那に寄贈した小学校が一般企業に払い下げられていた

2012.07.23 Monday 01:08
くっくり



 戦友を騙した龍陵市長の口ぶりとそっくり同じ。結果も「検疫当局は頑なだった」とこれまた同じ。口利きはまったくのインチキだった。支那人にとって日本人は今も昔も常にカモでしかない。筒井はともかく戦友たちの心情は痛ましい。それにしても水も空気も人心も汚れ切った国が日本製品を「検疫」とは笑わせないか。

 ______________________________起こしここまで


 拉孟(らもう)や騰越(とうえつ)の戦いと言われても、ご存知ない方も多いでしょう(私も戦史には疎いので偉そうに言えません(^^ゞ)。

 「ねずさんのひとりごと」さんにまとめがありますので、この機会にご覧下さい。

敵は幾万ありとても・・・拉孟の戦い
先人たちの必死の戦いを忘れるな!・・・騰越の戦い


 さて、この正論のコラムを読んだ後いろいろネットで調べてみたところ、奇妙な報道を発見しました。
 人民網日本語版(人民日報ネット版)の2002年のこんな記事です。

【雲南】旧日本軍の遺骨と遺物を大量に発見(写真)(人民網日本語版2002年7月2日)
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雲南省保山の龍陵で先ごろ、旧日本軍の遺骨と遺物が大量に発見された。これまで国内で発見された中では数が最も多く、保存状態も良好。

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これらの遺骨と遺物が納められた木箱およそ20個と陶製の入れ物およそ40個は、龍陵歴史記録弁公室の倉庫内に置かれていた。中でもミャンマーやインド製の陶製の入れ物が目を引く。中は遺骨で、旧日本軍はこれらの遺骨を重慶に運ぼうとしていたと見られる。主に人道的主義な配慮と、歴史的資料や物証収集を目的に保存されていた。龍陵には抗日戦の舞台のひとつとなった松山がある。戦闘は悲惨を極め、多くの尊い命や財産が奪われた。第二次世界大戦から57年。当時の遺骨や遺物を目の前にすると「戦争は遠い日の出来事ではない」という思いがこみ上げてくる。


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