【動画】日本統治時代の台湾

2012.07.21 Saturday 02:17
くっくり



 「私にとって唯一の故郷は台湾です」と話す力丸研二さんは、戦前の台北帝国大学で教鞭を執った心理学の権威、力丸慈圓(じえん)教授の息子さんです。
 一家は台北市内の昭和町(現在の青田街)という所に住んでいました。力丸さんら子供たちにとって昭和町の暮らしは楽園そのものだったそうです。

 そんな力丸さんが敗戦を迎えたのは14歳の時でした。
 引き揚げ後は母方の里に身を寄せ、大学卒業後は国家公務員になりました。そのため国交が途絶えた台湾への渡航は定年まで許されなかったそうです。

 2004年、母校(現在の台北市立建国高級中学)で記念行事が開かれ、百名の日本人卒業生が駆けつけたなかに力丸さんの姿もありました。母校の玄関に入ると大きな立て看板があり、「おかえりなさい!」と大きく書いてあったそうです。
 力丸さんは「それを目にしたとたん涙があふれかえり、言葉にならないのです。60年近い歳月を一瞬にして取り戻した気持ちでした」と話しました。

 さらに、力丸さんが幼少期を過ごした昭和町の町並みが、台湾の住人や研究者らの手によって台北市の古跡と歴史建築物に登録されていたのも嬉しいことでした。
 保存運動に尽力している台湾中央研究院の黄智慧教授は、「昭和町には戦前、知の最先端を走っていた研究者ばかりが住んでいて、彼らが台湾の近代的学術基盤を築き上げていきました。日台双方にとって大切な場所なのです」と話しています。

※参考文献
 「諸君!」2009年4月号 平野久美子氏
 【映画『海角七号』に、台湾の人々はなぜ涙するのか】

 再掲にあたりネットを検索したところ、昭和町(青田街)の現在の写真を見つけました。
 いいですねー、この雰囲気!(≧∇≦)

image[120720-09aota.jpg]

 画像の出典は、台北ナビ様>青田街を散策〜古き良き日本が残る場所です。
 他に、日本統治時代の家屋を利用したカフェレストランや、周辺の町並みの画像があります。一度も行ったことがないのに、すごく懐かしく感じます。

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