「アンカー」天安門事件元リーダー王丹とチベット・ウイグル・尖閣を語る
2012.07.19 Thursday 00:32
くっくり
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青山繁晴
「はい。あの、天安門事件の時20歳の北京大学1年生だった王丹さん、こんな大きな眼鏡かけて、頬がこけてる人だったでしょ。で、今43歳になった王丹さんに会うと、ふっくらされて、そして、ま、目はコンタクトレンズなのか、分かんないけども」
山本浩之
「ずいぶん違いますよね」
青山繁晴
「すごくね、悲しみたたえた目だと僕は思いました(一同同意)。やっぱり、祖国を離れて暮らさなきゃいけない、追われて暮らさなきゃいけない、そのきっかけになった、天安門事件、ちょっと見ていただけますか」
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山本悠美子
「天安門事件とは、戦車などを出動させ、民主化などを求める学生や市民に発砲しました。死亡者数は定かではありませんが、数百人から数千人という説があります」
青山繁晴
「うん。この、数百人から数千人って説は、これも実は抑えた書き方でね、もっと多かったっていう話もあります。あの、天安門行かれた人は多いと思いますけど、ものすごい広いでしょ?あそこ埋め尽くしてた人が、たくさん、その、病院に運ばれずに亡くなった方もいらっしゃると。で、その中で王丹さんは、指導者だったけど何とか生き残ったけれども、大変な人生を送ってきました。ちょっとプロフィール出していただけますか」
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青山繁晴
「はい。えー、さっきも申しました通り、ま、こういう1年生だったわけですね、20歳の時。今43歳。そして2回捕まって合計6年投獄されて、それでも、ま、国際社会の圧力によって、アメリカに逃れることができて、そして、これ10年かかってですね、ハーバード大学で博士号を取ったんです。えー、これは東アジアの歴史についての論文で博士号取ったんですが、ハーバード大学っておまけしませんから、これまあ大変な努力があったと思うんですね。だから正直、今回僕は英語で直接、その、議論できると思ったら、ま、彼、実は非常に慎重な方で、挨拶は英語でしても、議論の中身は自分は中国語でなさりたいってことなんで」
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