映画「凛として愛」と東京裁判史観ムラ

2012.07.16 Monday 16:11
くっくり


 アメリカ軍・ハーバート・ロング大尉の手記によれば、「先頭に立つ部隊長は、右手に日本刀、左手に日の丸を持っている。部隊長が倒れた。再び立ち上がり、1フィート、1インチと迫ってくる。拡声器で降伏せよと叫んだが、耳を貸そうとしなかった。遂にわが砲火が集中された」。

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 アッツ島守備隊の最期が天皇陛下にご報告されると、「最後までよく敢闘した。このことを伝えよ」と言われたが、すでに将兵は玉砕し、無線機も破壊されて無い。

 そのことを申し上げると、陛下は厳しい声で、「それでもよい。電波を出しなさい」とご命令されたという。

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 雪と氷で閉ざされたアッツに向けて、陛下の御言葉が打電された。
 祖国のために散華された2,500の将兵は、陛下の御言葉を耳にしたのであろうか。

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 元甲種飛行予科練習生(12期)畠山昭一郎さん
 「やはり何としてもこの国土を護るということですよね。国土を護るってことは親を護ることであり、郷里を護ることなんですから。それが、最大の目的だったでしょうね」

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 すでに硫黄島は落ち、沖縄にアメリカ軍が殺到していた。
 昭和20年4月7日、大和は米軍の300機以上の攻撃を受け、沖縄に着くことなく、九州坊ノ岬、西方90マイルで沈む。

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 大東亜戦争戦没者2,133,778柱英霊。
 3年8カ月、世界を相手に日本の死に物狂いの戦いは終わった。

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