映画「凛として愛」と東京裁判史観ムラ

2012.07.16 Monday 16:11
くっくり



 昭和27年、日本が独立した後、当時の日本政府が、戦犯で処刑された方々を、戦争犯罪人とはみなさず、戦争による公務死と認定したからである。

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 日本軍人を裁く裁判は、日本本土以外でも行われ、多くの軍人・軍属が罪もなく断頭台の露と消えた。

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 陸軍大尉 星島進 命、ラバウルで法務死、35歳。

 「寿子(かずこ)殿、深愛(しんあい)をもちつづけながら、そのいたはることすくなかりし結婚生活をゆるせ。然し俺の武人としての正しさは誰かによつて伝へられる。戦犯の名はつらからうが勿論俺は日本の罪人ではない。寿子よ泣くな。子供をひがまさず、正しい人間にしてやつてくれ」

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 陸軍軍属 高橋久雄 命は、中国軍の接近を日本軍に通報したため、中国軍が殲滅させられたという、ただその理由だけで北京で処刑された。

 「故国の皆様お元気ですか。御当地はまだ雪で畠仕事も出来ないでせう。事実なきことも良民殺害の罪名のもとに裁かれるのです。今となっては何をか言はんやです。皆様、何事も運命と思召し、あきらめて下さい」

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 高橋久雄 命の兄、久一さんは、取材スタッフが訪れるのを一日千秋の思いで待たれていたが、訪れた数日前に息を絶たれた。
 94歳の大往生である。

 生前、「弟には何の罪もありゃせん」と、話をしていた久一さんは、冥界で今ごろ弟の高橋久雄 命と、悔しさを語っているのだろうか。

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 「後は死して皆様のおそばへ参ります。妻タツのそばに置いて下さい。はるかに東方を遙拝し、断腸の想ひを絶って刑を待つ。かへり見る三十八生、ここに斃(たお)れる」

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