2012.07.05 Thursday 19:09
くっくり
2001年2月10日に発生した「えひめ丸」沈没事故における当時の森首相の対応について、青山さんからチラッとお話が出ましたね。
青山さんは「高校生が海で溺れてる時に、ゴルフをなさってた」と言われましたが、私はこれには実は異論があります。
森さん本人は「事件の一報が入った時、ある関係者から直ぐにはその場を離れないように言われたのでゴルフ場で待機していた」と後に述べています。
(なぜ官邸に戻らなかったのかについては、当時、交信手段は携帯電話などしかなく、移動中不通になると連絡手段がなくなるが、ゴルフ場にいれば有線回線があり確実に連絡が取れるため、事故の状況が判明するまで待機したということらしいです)
森さんがゴルフ場にいたのはもちろん事実でしょう。
が、事故を知った後もプレーし続けたのか、あるいはプレーを打ち切った上で事故対応のためゴルフ場(クラブハウス)で待機していたのか、この二つには天地ほどの開きがありますよね。
当時の報道によれば、森さんは事故発生当日の午前10時半すぎ、横浜市のゴルフ場で友人とゴルフ中に第一報を受けています。
その後、森さんは午前中に(正確な時刻は不明)、外務省の藤崎一郎北米局長を通じ駐日米大使館のラフルーア公使に対し、救助活動への全面的な協力を要請しています。
他方で、「森首相は携帯電話で連絡をとり続けるなど、緊張して対応」しながらも「頻繁に携帯電話をかけながらも3ホールをプレーし続けた」という、森さんと一緒にプレーをしていたという知人の証言も、当時、朝日新聞が報道しています。
もちろん青山さんの今回の発言は十分な信憑性に基づいたものなのかもしれません(例えば当時の関係者から話を聞かれた上でのことかもしれません)。だから真相はどうだったかについて、私がここで断言することはもちろんできません。
ただ、それはそれとして、何より私が苦々しく思い出すのは、当時のマスコミのバッシングの酷さです。まるで森さんのせいで「えひめ丸」の学生たちが亡くなったかのような報道振りでした。
特にテレビは、楽しげにゴルフをしている森さんの“資料映像”を何度も繰り返し流し、「大変な事故が起こっているのにそれを放置してゴルフ三昧の首相」という印象操作を行いました。
さらに付け加えれば、「えひめ丸」が沈没したのは真冬ですが、“資料映像”の森さんは半袖姿、つまり夏の映像でした。
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