2012.06.19 Tuesday 00:46
くっくり
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
日光、入町での記述
これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり。子供たちがいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。父親も母親も子供を自慢にしています。
毎朝六時に一二人から一四人の男が低い塀に腰をかけ、二歳以下の子供を抱いてあやしたり遊んでやったりして、その子の発育のよさと利口さを見せびらかしているのを見るのはとても愉快です。ようすから判断すると、この朝の集いの主な話題は子供のことのようです。
夜、家が閉まってしまったあと、「一家団欒」の場でふんどし一丁の醜い顔をした父親がおとなしそうな赤ちゃんの顔をやさしくのぞき込み、母親はたいていキモノを肩まで脱いで裸の子供をふたり腕に抱いているのが、引き戸を隠す綱や籐(とう)ののれんの隙間から見られます。なぜか子供は男の子が好まれるとはいえ、女の子も同じようにかわいがられます。
子供たちはわたしたちの抱いている概念からいえば、おとなしすぎるししゃちほこばってもいますが、外見や態度は非常に好感が持てます。とても素直で言うことをよく聞き、両親の手伝いをよくし、自分より年少の子供たちの面倒をみます。
それにわたしは遊んでいるときの子供たちをずいぶん見ましたが、怒っていることばを耳にしたことはおろか、不機嫌な顔をしているのを見たことすら一度もありません。とはいえ、当地の子供たちは子供ではなく小さなおとななのです。それに子供たちがおとなびて見えるのは、前にも書いたように、おとなと同じものを着ているからというのも大いにあります。
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