【拡散】石垣市尖閣諸島寄附金について(バナー配布中)

2012.06.09 Saturday 01:00
くっくり


 三点目は、慰霊祭です。終戦間際に石垣島から台湾へ向けて出港した二隻の疎開船が米軍機の銃撃を受け、一隻は大破沈没、もう一隻は尖閣に漂着しましたが、食料もなく、多くの方が命を落とされました。石垣市は昭和44年に現地に慰霊碑を建立し慰霊祭を行いましたが、それ以来、尖閣諸島での慰霊祭は行われていません。その「慰霊祭」を開催するための上陸です。私は三点のどれをとっても上陸を許可するのに十分な理由だと思いますが、残念ながら政府からはいまだに許可が下りないのです。
 それとは別に、漁業という経済活動の問題もあります。尖閣周辺は大変豊かな漁場ですが、石垣島の漁民はなかなか漁には向かいません。なぜなら尖閣諸島には簡単な港さえもない状態で、漁に出ても、天候が崩れると石垣島までの170キロを手ぶらで帰ってくるしかないからです。燃料高騰の折、赤字覚悟で漁に出るにはリスクが大きすぎます。先の中国漁船事件以来、一部補助金が出ていますが根本的には何も変わってはいません。尖閣諸島の実効支配のためには漁業という経済活動を行うことも有効なはずですが、現状では厳しいです。

 井上和彦さんによれば、中山義隆市長は常にこう言われているそうです。

 「石垣島は、西表島や与那国島など八重山諸島の中心に位置しており、しかも周辺離島に行くには必ず石垣島を経由せねばならない交通の要です。つまり、石垣島が各地域の防災拠点となるわけですから、私は石垣市長であると同時に、この八重山群島の全域の安全確保に責任を持たねばならない立場にあるわけです。その点を常に自覚して行政に取り組んでいます」

 そんな中山市長の最大の功績の一つは、海上自衛隊艦艇の石垣港への入港を認めたことであると、井上和彦さんは言います。

 前市長の大浜長照氏は左翼志向の大変強い人でした。
 尖閣諸島については、2008年に市議会で、何と「日本、中国、台湾で共同で研究調査すべきだ」と発言しています。

 そういう人ですから、海自艦艇が補給や休養のために石垣港に入港しようとしても認めませんでした。

 2010年2月、その大浜氏を破って初当選を果たした中山市長は、自衛隊に対するこうした無礼・非常識な対応を一気に改善しました。
 彼は市議会議員時代からそのことを改善すべきだと強く訴えてきており、ただちに実行したのです。

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