「文藝春秋」富田メモ
2006.08.11 Friday 02:16
くっくり
半藤 たしかに、ゆったりした人ですね。最初に相談に来たときも、日記やメモの現物をもってきて、「この、白取っていう人物は?」と、まだ解読しきれてない部分も多いようでした。
保阪 とすると、日経新聞の政治的、意図的なスクープではないということですね。
秦 むしろ、日経は及び腰でしょう。記者は「会社側は、政治的な動きと取られることを非常に恐れている。事実だけを淡々と書きたい」と言っていましたね。実際、火炎瓶を投げ込まれたりしましたし。
半藤 日経によると、記事を出す前日には、宮内庁を通じて今上天皇にも、富田元長官のメモを報じることと、靖国メモの内容をお伝えしたそうです。宮内庁からは、わかりましたという返事があったという。
だいたい、こういうスクープは、時期を狙ってできるものではないですよ。「昭和天皇独白録」を「文藝春秋」(平成2年12月号)で掲載したときも、寺崎英成氏の娘、マリコさんのところに資料があると判明してからは大急ぎでした。私の註入れや解説などは、10日あまりでしました。
秦 今回出てきた天皇の「靖国メモ」を、信じたくないという人は、昭和天皇のイメージが覆されると思うからでしょう。戦争責任をふたたび問う声も出てくるかもしれない。
<この後、天皇は戦争責任についてどう考えておられたか等>
●この文書をどう受け止めるべきか
<日経が公開した日記やメモの他の部分について。昭和天皇はずいぶん人物評をしている。弟の高松宮さま、吉田茂、中曽根康弘など。未公開部分には秋篠宮さまに関する微笑ましい記述も。>
秦 富田さんは時期がきたら、歴史的記録として、公開してもよいと思っていたのではないでしょうか。もし出してはいけないと考えていたのなら、昭和63年に宮内庁長官を退任してから、平成15年に亡くなるまで、日記やメモを処分する時間はたっぷりあったはずです。急死されたわけではないから、家族に死後の処分を頼むこともできたでしょう。
それに、昭和天皇も、伝えてほしいと思っていた節もある。崩御の直後に、富田氏は読売新聞で「亡き陛下をしのぶ」という連載をしています。なかに、天皇が金曜日に長時間話したばかりなのに、週明けの月曜に「もう一度話したい」とわざわざ長官を呼び出すエピソードがあるんです。
保阪 宮中の「オク」といわれる侍従ではなく、「オモテ」の宮内庁長官を呼ぶのだから、公的な性格が強い発言です。
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