「文藝春秋」富田メモ

2006.08.11 Friday 02:16
くっくり



<この後、保阪氏の松平宮司の歴史観批判、半藤氏のいまの靖国神社は神道の教義ではなく松平精神であるという批判、秦氏の遊就館批判>

●なぜこの時期に?

<あまりにも絶妙なタイミングにメモが出た件について、いろんな噂がある……>

保阪 まず、日経新聞が、中国に配慮する財界の意を受けたのではないか。あるいは、インサイダー取引をした日経社員の逮捕を目立たせないためだと説く人もいるようです。はては、靖国参拝賛成派である安倍晋三氏の、新著の発売日にぶつけたという説まであります。
秦 そんな深い背景はないと思いますがね。私も半藤さんも、スクープした日経記者から経緯を聞いていますが、その範囲で判断する限りは、偶然の産物でしょう。
保阪 ベテランの皇室記者なんですか?
半藤 四十代の社会部記者です。富田氏が長官のころ宮内庁担当で、最近まで新潟の長岡支局にいました。この3月に東京本社に戻って宮内庁担当になったんだけど、富田さんは平成15年に亡くなっていたので、未亡人に挨拶にいった。何度か話すうちに、実は日記やメモがあるんですよ、と見せてもらったというんです。
秦 富田さんの追悼集のなかにも日記の一部が収録されて、すでに関係者に配られていたんだそうです。しかし、この「靖国メモ」は手帳のメモのほうにあった。記者は「夫人は、メモは見ていない」と言っていましたね。
半藤 日記は丁寧な文章で、家族のことも書いてあるけれど、メモは箇条書きだったり、ややわかりにくいですから。
 で、記者がじっくり読んでいるうちに、これは天皇の肉声が書いてあるようだと気づいて、僕のところに意見を聞きにきたんです。僕は長岡に縁があって、彼が長岡支局のときに取材を受けて知っていたので、思い浮かんだのでしょう。それが、7月のはじめでした。
秦 私のところに連絡が来たのは、記事が出る1週間ほど前だったかな。
保阪 しかし、富田さんの日記が遺されていることが周知だったら、もっと前に、各社の記者が殺到していたのではないですか。
秦 ところが、特に誰も行かなかったのだそうです。朝日新聞の清水建宇論説委員は、生前、富田さんに「日記は棺までもっていく」と言われ断られたそうですから。どうせ無理だろうという先入観があったのかもしれない。その日経の記者は、スクープ狙いのギラギラした感じがない人なので、未亡人も警戒せずに見せたのではないでしょうか。

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