「文藝春秋」富田メモ

2006.08.11 Friday 02:16
くっくり


 まず、昭和63年4月25日に天皇誕生日に備えての、恒例の記者会見がおこなわれました。<中略>記者会見の3日後の4月28日に、天皇が富田宮内庁長官を呼んで、記者会見についての感想を語った。それがこの「靖国メモ」になったと思われます。

<3ページ目のメモの解釈が続く。その後4ページ目へ。昭和63年の奥野の発言、昭和61年の藤尾の発言について解説>

秦 私は、『奥野は藤尾と違うと思うが』から『単純な復古ではないとも』までは、富田長官の見解という可能性が高いと思います。一段下げて冒頭に「=」をつけて書いているでしょう。前のページで会見について『記者も申しておりました』と明らかに自分の発言をメモしている部分も、同じように「=」で始まっているんです。富田氏がメモをとるときのルールだったのかもしれません。
保阪 欄外左に『・余り閣僚も知らず そうですがが多い』と見えるのは、なんでしょうか。閣僚が事実関係をあまり知らなくて、「何々だそうですが」と伝聞調が多い、ということですかね。
半藤 うーん、ここはよくわかりません。
秦 ここまで読んでくると、慰霊のための靖国神社参拝が、急に政治問題化してきたことを、天皇が心から憂えていたのは明らかです。日経は、今のところ(7月末時点)、前半部分を公開していませんが、なぜなんでしょう。
半藤 現存している人の名前が出てくるから、気をつかったのかもしれませんね。

●松岡、白鳥だけが問題なのか

<昭和天皇が松岡、白鳥をどう思っていたかについてのやりとり>

保阪 <前略>ところで、「昭和天皇は、松岡や白鳥は許してないけれど、他のA級戦犯の合祀はかまわないのだ」と読解する人が、かなり多いんですよ。
半藤 『その上』とあるのに?素直に読めばいいのに。
保阪 中には白取と字を間違っているから、このメモは怪しいといった政府高官もいるらしい。
秦 「偽造」するなら、そんなに単純な間違いはしないでしょう。

<この後、「昭和天皇は東条に対しては好意的だったからメモには矛盾がある」説への反論。天皇は戦争末期は東条をアテにしていなかったし、昭和20年9月、ベイリーUP通信社長らとの記者会見で、真珠湾攻撃について「東条にだまされた」ということを述べている等>

秦 <前略>ひとつ言っておきたいのは、富田長官の日記のほうにも、天皇が靖国への批判をしているという部分が何箇所かある。たとえば、昭和60年12月31日にも『靖国・松平宮司への批判記述』とある。長官にとっては、折にふれ何回も聞いているから、A級戦犯合祀への天皇の怒りは、おなじみだったんだと思いますよ。

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