「文藝春秋」富田メモ

2006.08.11 Friday 02:16
くっくり


  ことを云いたかった           知か  していない.それが私の心だ
 "嫌だ"と云ったのは 奥野国土相      ら多
  の靖国発言、中国への言及にひっかけて   ずい ・ 干連質問 干係者もおり批判になるの意
  云った積りである

メモ画像はこちら。


 内容紹介ここから_________________________________

<まずはメモを最初に見た時の半藤氏、秦氏の感想>

●富田メモの信憑性は

保阪 <前略>そこでまず、富田メモの信憑性を検証したい。これは本当に「昭和天皇の肉声」だと判断してよいのでしょうか。
 私自身は新聞を一読して、わずか130字足らずの文字ですが、昭和天皇の言葉に間違いないと思いました。史実に合致しているのです。しかし、公開されたのは膨大なメモのごく一部だったこともあって、「メモは捏造では」とか「天皇の発言ではなく、富田氏の意見では」とい疑う声も出ていますね。
半藤 えっ、捏造とまでいう人もいるの。
保阪 写真で見ると、この部分は、数枚のメモ用紙をまとめて、手帳に貼り付けられている。誰かが、靖国メモだけ付け加えた可能性もある、との見方をする人もいます。
半藤 私は現物を見ていますが、まず1年分ごとの日記帳が、昭和50年から昭和61年分まであります。さらに、黒い表紙に「T・TOMITA」と名前の入った手帳が昭和62年から平成9年分までありました。
 それとは別の昭和62、63年分の黒い手帳は、ほとんど全てのページに、横書きのメモ用紙を貼り付けたりホチキスでとめてあって、分厚く膨れているんです。そのなかに『それが私の心だ』という靖国メモも貼られてある。
 さらに、同じ2年分の白い表紙の分厚い手帳もあって、出来事や会話などが詳しく書かれています。
秦 富田氏が宮内庁次長に就任したのは昭和49年11月、長官をつとめたのは昭和53年5月から昭和63年6月までだから、日記とメモで、ほぼすべての期間をカバーしています。基本的に、日記と手帳の時期は重複していないんですね。日記をゆっくり書く暇がなくなったから、手帳に別紙を貼るようになったのかもしれない。私はコピーと、日経の記者がワープロに起こしたものを照合して読みました。
保阪 手帳の、該当する日付のところにメモが貼ってあるんですか。それはコピーじゃありませんよね。

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