「アンカー」日本は世界の孤児!ドーハ国際会議&野田首相が小沢氏に会う目的
2012.05.24 Thursday 02:03
くっくり
山本浩之
「そういう誤解を招くようなことは、もう、放送終了直前に言うのはやめて下さいね(笑)」
青山繁晴
「すみません(笑)、ええ、まさしくそのとおりで、あの、男の約束で、あの、ちゃんと帰ってきたんですが(笑)」
山本浩之
「(笑)」
青山繁晴
「ちょっと余計なことを1個言っちゃって、あの、6500kmって言った気がするんですが、いや、あの、片道8100kmか8200kmぐらいあるんですね。従ってまあ1万7000km弱、往復で、あの、使って、とりあえず皆さん帰ってきました(笑)」
山本浩之
「何事にも正確を期す青山さんの訂正でございました(笑)。さあ今日の中身ですけど」
青山繁晴
「ええ。それで、その、中東カタールで開かれた国際会議に出まして、それで、ま、土曜日に出発して、この『アンカー』に間に合うように昨日帰ってきましたから、ま、あの、実は会議全部出ることもできなくて、あの、本当に、ま、強行軍なのは普段だからいいんですが、短い、海外になったんですけれども非常に、実は僕にとっては、ショッキングな会議でありました。えー、ただですね、その帰りの飛行機の中で、あの、カタール航空って、カタールの、あの、国の航空会社なんですけど、そこで働いてる日本人の、フライトアテンダーの方、昔の言葉で言えば、スチュワーデスさんが近づいてこられて、『アンカー』見てますと」
山本浩之
「ああ、そうですか」
青山繁晴
「で、『アンカー』見て、あの、自分が、こういう多国籍企業、海外で働くようになって、自分の中で思ってたこと、例えば日本の敗戦後の歴史とか、国歌とか国旗について、日本で教わったのと、海外で見る話と、全然違うと。これどうやって頭、整理していいか分かんないと思ってたら、『アンカー』を見てだんだん分かるようになりましたと言われて、ま、すごく勇気づけられたわけですね。あの、『アンカー』に向かって帰る機中でしたしね。で、この話ってその国旗とか国歌とか日本の歴史って言うと、すぐ右とか左って話になるけれども、それ実はそうじゃなくてですね、この日本だけ、1945年に戦争に負けた時にとどまってるけど、世界はもうどんどんどんどん先に行ってて、当たり前ですけど2012年の世界になってる。国際会議で目撃するのは、その、2012年に行った世界と、そして1945年にとどまってる日本とのこの食い違いなんですよね」
[7] << [9] >>
-
trackbacks (3)
<< 生駒市市民投票条例案の是非をめぐり市民が市長提訴
河本準一氏が会見、母親の生活保護費返還へ >>
[0] [top]