「アンカー」復帰40年沖縄の実情と陛下の思い&尖閣問題で誘導する朝日

2012.05.17 Thursday 04:22
くっくり



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村西利恵
「1952年にサンフランシスコ講和条約が発効したのが4月の28日。そして、1972年に沖縄が祖国に復帰したのが5月の15日」
(注:画像の「講話」は「講和」の間違い。後ほど訂正あり)

青山繁晴
「はい。これあの、もう一回言いますが、僕たちのゴールデンウィークは、昭和天皇がお生まれになった日から、ま、あの、端午の節句、子供の日ですね、それと振替休日ってことになってるんですけどね。その前後に、国際社会の常識から見たら、あるいは国際法の精神からしたら、ものすごい祝うべき日があるのに、何でこれが祝日になってないの?っていうことなんです」

山本浩之
「こうやってみるとよく分かりますねー」

青山繁晴
「ねえ。たまたまちょうど挟むようにあるんですけどね。それたまたまなんですけれども。まず4月28日っていうのは、何の日かというと、ここに書いてる意味はですね、実は日本は2000年以上、戦争に一度も負けたことがない、世界で例外の国でありましたが、ま、僕らみんな生まれる前ではあるけれども、今から67年前の1945年、8月15日に、建国以来初めて負けました。そしてアメリカを中心とする連合軍に占領されて、国でなくなった。主権も独立も失った。でもそれは、7年かかったけれども、いわば7年で終わって、1952年の4月28日に、日本の独立を回復しますという、サンフランシスコ講和条約が発効、効き目を現して、この日、実は日本は国家に戻ったんです。独立や主権を回復した。これちょっと余談ですけど、もしこれがアメリカでなくてソ連だったら、例えばソ連に占領されたウクライナ、1991年にソ連が崩壊するまで、だから、もう、半世紀を超えてずーっと支配されてたわけです。アメリカがいいってわけじゃないけれども、アメリカがたまたまカウボーイの国で、領土的野心が小さかったから、日本は奇跡のように独立を回復できた。ところが、この日は、国民の祝日にならないまま、実はこれ、この日も、今年記念すべき60周年なんですよ。60周年の話題にもさしてならずに、そして例えば、もう半世紀プラス10年経ったんだから国民の祝日にしましょうって動きは、昔から一部にあるんですけれども、盛り上がりには、なってない。で、それと同時にですね、実はこの条約の中には、1つ困った点があって、それは、尖閣諸島や沖縄本島を含む、南の島々、ま、南西諸島は、日本のものだけれども、そこだけは当分、日本に帰らず、いや、日本じゃなくて、アメリカの施政下に置く、つまりアメリカのもんだよってことがこの条約に盛り込まれてたわけです。だから実はこの日から、20年、沖縄県民、沖縄の言葉でウチナンチューって言います、それから私たち本土の人間、沖縄の言葉ではヤマトンチューって言いますが、ウチナンチュー、ヤマトンチューは連携をして、沖縄祖国復帰運動を20年間戦って、ついに、1972年、これ20年足して1972年の、5月15日に、沖縄は祖国に復帰した。これはさっき言いました通り、戦争で奪われた領土を、戦わずして取り戻したっていう世界の奇跡なんですね。だから、もう一回言いますが、世界から普通に日本を見たら、この2つこそすっごい奇跡なのに、この2つは国民の祝日にならないまま、なぜ5月3日は国民の祝日のままなのか。それは実は憲法の中身を言ってるんじゃなくて、この5月3日っていうのはこれ1947年の5月3日なんです。つまりさっきの7年間のうちの1日ですから、ここは占領されてた時代なんです。だから本来はこうやって日本が、主権国家に戻ったら、新しい憲法をつくるはずじゃないか。その憲法の中身は、今の憲法と仮に同じでも、手続きとして、自分たちの憲法をつくるべきじゃないか。ということは全部合わせると、実は日本という国は、主権を回復してから60年になるのに、未だに占領下のつもりなのか、という疑問が、実は国際社会にあるわけです」

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