ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より
2012.05.08 Tuesday 00:40
くっくり
全長5.4mの玉虫型飛行器。
あとはガソリンエンジンを搭載すれば完成だった。
そんな矢先、忠八の空への夢は奪われてしまう。
ライト兄弟による飛行成功のニュースが飛び込んできたのだ。
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「あの戦争さえなかったら……」
自らの手で、全てを捧げて作り上げた飛行機を叩き壊した。
もう夢は見ない……。
それから33年後の1936年、忠八は亡くなった。
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1964年、遠く離れた異国の地で、あの玉虫型飛行器の模型が展示された。
英国王室航空協会の展示場である。
image[1205-29sakini.jpg]
イギリスの航空協会は、忠八を「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」として、その功績とともに、世界中に紹介した。
実は忠八は、生涯で一度だけ飛行機に乗ったことがある。
「若いころ、毎晩、飛行機に乗る夢を見た。初めて空を飛んだ気持ちは、夢で見たのと少しも違わなかった」(「二宮忠八回想」より)
ライト兄弟は飛行機の実用化に成功したのだが、最初は安全性が非常に低く、航空事故が多発、命を落とす人が非常に多かった。
そのことに心を痛めた忠八は、自ら神主になって「飛行神社」という神社を作った。
京都の八幡市に今でもあり、航空関係者が空の安全を祈念するため訪れている。
____________________________内容紹介ここまで
恥ずかしながら、私はこの日の番組で紹介された方々を一人も存じ上げませんでした。
唯一、テレビ開発のお話で、ブラウン管に最初に映し出されたのが「イ」の文字だったということだけは知っていました。
ずいぶん昔、テレビの歴史を振り返るといったような番組で、そういうエピソードが紹介されたのを覚えています。
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