ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より

2012.05.08 Tuesday 00:40
くっくり


 忠八はカラスを見ていて、あることに気付く。

 カラスは1、2回羽ばたいただけで飛んでいる。
 翼に受ける空気圧だけで飛翔していることに気付いたのだ。

 「これだったら、人でも飛べるかもしれん」

image[1205-23kotei.jpg]

 当時、飛行機の開発は各国で始まっていたが、どれも翼を上下に動かして飛ぼうとする仕組み。
 忠八のアイデアは、固定翼による飛行という画期的なものだった。

 この日から彼は研究に没頭する。
 翼を固定して飛ぶためのカギは揚力。
 風を受けることで自然に浮き上がることだと考えた。

 身を以てこの揚力を経験しようと、高さ5m以上の橋の上から大きな番傘を持って飛び降りた。
 傘の角度と空気抵抗の関係を導き出すまで何度も何度も。
 そして掴んだ。

 それからというもの忠八は、食費も削り、寝る間も惜しんで、飛行機の製作に打ち込んだ。
 そしてついに、全く新しいタイプの飛行機を作り上げる。

image[1205-24karasu.jpg]

 動力には聴診器のゴム管を使った。
 名付けて、カラス型模型飛行器。

 忠八の信念が作り上げたこの飛行機は、果たして本当にカラスのように飛んでくれるのか。
 
 1891年4月29日。
 高度1m、距離30mの飛行に達成。
 それは日本初の動力飛行成功の瞬間だった。

 「あとはエンジンさえ開発すれば、人は飛べる!」

 忠八は間違っていなかった。
 夢のように思われていた有人飛行はもう目の前。
 ライト兄弟に先立つこと、13年も前だった。

image[1205-25mae.jpg]

 しかし、1894年、日清戦争が起こる。
 忠八は研究中断を余儀なくされた。

 終戦後、忠八はまた夢の続きを追い始める。
 そしてついに人が乗ることができる飛行機を作り上げた。

image[1205-26tama.jpg]


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