ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より

2012.05.08 Tuesday 00:40
くっくり


 「小さな豆電球も作りましょう!」
 「それはいい!」

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 まだ見ぬ胃カメラの骨組みは、この時一気に作り上げられた。

 その後誰もいない研究室で、杉浦は胃カメラの開発を進める。
 カメラを極限まで小型化し、さらに直径5mmの豆電球を開発。
 カメラと光を胃の中にまで持ち込めるようになった。

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 そして1950年、世界初の胃カメラが誕生する。
 不可能だと思われた、世界初の胃カメラをわずか1年で作り上げたのだ。

 杉浦は当時を振り返ってこう言っている。

 「宇治さんの『胃にカメラを入れる』という発想、研究所長の『不可能』という言葉、キティ台風による思わぬ長時間ディスカッション、この三つの出来事のうち一つが欠けても、今日の胃カメラは生まれなかったであろう」(「私の古い『研究MEMO』より)

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 「この胃カメラは日本人だからこそできたこと」と番組ゲストの上山明博先生。
 実は胃の中でフィルムを巻き上げるための糸には、三味線の弦が使われた。太さや強度が最適だったからだ。

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■二宮忠八(にのみや・ちゅうはち。1866年7月-1936年4月)

 「飛行機を発明したのはライト兄弟」(1903年12月、人類初の有人飛行成功)と言われているが、実は、彼らに先駆けて、飛行機の原理を発見した日本人がいる。

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 その名は二宮忠八。

 幼い頃に両親を亡くした忠八は、薬屋に奉公する。
 そこで薬学を身につけ、衛生兵として陸軍に入隊。
 衛生兵とは医療活動を行う専門部隊のことである。

 1889年11月、大規模な野外演習でのこと。

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