ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より
2012.05.08 Tuesday 00:40
くっくり
電気を自由に持ち運べるこの画期的な発明は、世界中の産業の近代化に欠かせない「小さな巨人」となった。
遅刻で夢を諦めた屋井は、いつしか時代の最先端を走っていたのだ。
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■杉浦睦夫(すぎうら・むつお。1918年3月-1986年8月)
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あらゆる物が小型化される現代、胃カメラは小型化された技術の先駆けである。
多くの人の命を救うために開発に心血を注いだ「胃カメラの父」、それが杉浦睦夫。
1949年、高千穂製作所(現OLYMPUS)で、杉浦は高性能の顕微鏡開発の第一人者として知られていた。
研究を終えて帰ろうとする杉浦に、一人の男が声を掛けた。
外科医の宇治達郎だった。
「杉浦先生、突然で恐縮ですが、胃の中の写真を撮影できないですか?胃の中が分かれば、レントゲンで診断できない胃潰瘍や胃ガンを早期に発見できるんです!」
宇治は杉浦の評判を聞いて、相談に訪れたのだ。
杉浦は「何とかなるでしょう」と、宇治のとんでもない申し出をあっさり受け入れたが、研究所の所長は大反対。
「それは駄目だよ、腹の中にカメラを入れるなんて不可能だよ。百歩譲ってカメラが入っても、胃の中じゃ光がないじゃないか」
確かに無謀な話だった。
平均的な人の食道は14mm。
そこに入る大きさのカメラなど存在しなかった。
ましてフラッシュなしで胃の中は写せない。
肩を落として電車で帰路につく二人。
image[1205-18kitty.jpg]
実はこの日は1949年8月31日。
関東一円を「キティ台風」が直撃していた。
電車は暴風のため緊急停車、立ち往生してしまう。
止まった電車の中で、二人は長時間熱く語り合った。
技術者と外科医、それぞれの立場からぶつけ合う斬新なアイデア。
「杉浦先生、小さいカメラだけでも作ることはできませんかね?」
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