ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より
2012.05.08 Tuesday 00:40
くっくり
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屋井先蔵は「乾電池の父」。
電気大国ニッポンの始まりは、「電気を自由に持ち運ぶ」という画期的な発想からだった。
幼い頃、時計屋に奉公していた屋井。
どうしても科学者になる夢を捨てきれず、21歳に上京する。
無謀にも新潟から歩いて。
高校の入学試験を受けるためだった。
当時は進学に年齢制限があったため、屋井にとってはラストチャンス。
そしていよいよ試験当日。
何と屋井は遅刻をして、試験場に入れてもらえなかった。
時計が遅れていたのだ。
当時の時計はネジ巻き式で不正確だった。
奇しくも時計に人生を狂わされたのだ。
「世の中の時計が全て正確に、同じ時刻を指していれば…」
この日から屋井の戦いが始まった。
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ネジ巻き式ではなく、電流によって動く全く新しい時計を開発。
複数の時計を正確に連動させることを可能にした。
連続電気時計というこの発明は、日本の電気に関する特許の第一号となった。
しかし、実用化には大きな問題が。
肝心の電池が使い物にならなかったのだ。
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当時の電池は、ガラス容器に薬品を入れた液体電池。
すぐに液漏れしたり、寒いと凍結した。
そのため今度は、実用的な電池の開発を始めた。
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不屈の努力で研究を続け、1889年、25歳の時、ついに世界初の乾電池を完成させた。
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屋井の乾電池は、1893年のシカゴ万国博覧会で公開され、使いやすさと性能の高さに人々は驚き、世界の話題になった。
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