ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より
2012.05.08 Tuesday 00:40
くっくり
高柳のテレビへの挑戦が始まった。
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1920年代当時、世界ではテレビの開発合戦が行われていた。
簡単な画像は送れたが、鮮明な動画を送ることはまだできず、テレビの開発は行き詰まっていた。
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高柳は誰も注目していなかったある機器に着目する。
それはブラウン管。
当時は電磁量と質量の比率を計るための実験器具に過ぎなかった。
高柳はブラウン管にテレビの未来を託した。
そしてついに1926年、世界初のブラウン管による電送に成功。
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この時、画面に映し出されたのは、イロハの「イ」の字だった。
ブラウン管による電送成功は、テレビ開発の歴史に大きな第一歩を記した。
世界中の研究者がブラウン管に注目、本格的なテレビ開発競争の幕が上がった。
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高柳は追い越されまいと、動く人物の映像の電送を目指す。
しかし第二次世界大戦が勃発、行く手を阻む。
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さらに戦後も、GHQはテレビの軍事転用を恐れて研究を一切認めなかった。
高柳はどんどん諸外国に先を越されていった。
しかし、今でも高柳の功績は色褪せていない。
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2011年1月20日、高柳の誕生日に合わせて、グーグルが公開した特別バージョン。
そこにはあの時の「イ」の文字が輝いていた。
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■屋井先蔵(やい・さきぞう。1864年1月-1927年6月)
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