部落解放同盟「解放運動」の犠牲者…人権救済機関設置法案20日閣議決定?

2012.04.07 Saturday 03:17
くっくり


【犠牲者6】1976年5月24日、府中東高校同和主任(40歳)、墓地裏松林で首つり自殺。
【犠牲者7】1976年7月1日、福山市教委社会教育主事、遺書を残して自殺未遂。
【犠牲者8】1980年7月、山県郡加計町加計高校同和教育推進教員(55歳)、自宅裏山で首つり自殺。
【犠牲者9】1981年1月29日、福山市桜ヶ丘小学校長(54歳)、頸動脈を包丁で切って自殺。
【犠牲者10】1981年1月31日、豊田郡本郷町北方小学校長(52歳)、頸動脈をカッターナイフで切って自殺。
【犠牲者11】1981年4月9日、佐伯郡廿日市町(現・廿日市市)宮内小学校長(55歳)、校内物置小屋で首つり自殺。
【犠牲者12】1981年4月9日、佐伯郡(現・佐伯区)五日市町教委同和教育室長、自殺。
(P.211-213)

 以上は、『同和黒書2』(国民融合をめざす部落問題広島県東部会議)に記載されている事例です。

 この時期、広島県内では毎年60〜100件の「差別事件」が引き起こされたとして、解放同盟による糾弾が行われていましたが、そのうちのほとんどが、学校での児童・生徒の「穢多」「非人」といった発言を理由にしたものでした。

 子供の間違いは、教師が解決にあたればよいことです。それを外部団体が数をたのんで学校に押しかけ、教職員をつるし上げたのです。

 これは広島県だけでなく全国的に言えることで、解放同盟は「差別事件」が発生するたびに、行政や学校現場への介入の口実をつかみ、屈服させていったのです。

 編著者の寺園敦史氏は、「介入の口実をつくるために、本来は差別事件とは言いがたいものまで、『事件』へとでっち上げていったとみるべきかもしれない」と述べています。

 ちなみに【犠牲者11】の宮内小学校長の自殺事件には後日談があります。
 校長の校内での自殺にショックを受けた町民約3000人が、県教委、町教委に自殺の真相究明を求める署名を提出しました。
 ところが教委側はこれを無視しただけでなく、解放同盟に署名用紙を差し出していた可能性が強いのです。というのも、署名提出後、署名者一人ひとりにその行為を非難する文書が、解放同盟県連から郵送されてきたからです。

 『同和黒書2』には1981年4月までの記述しかありませんが、学校関係者によると、これ以後も自殺者が出ています。

【犠牲者13】1981年11月26日、県教委学校管理課長、自殺。

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