語り継ぎたい3・11体験談、そして被災地へのエール

2012.03.20 Tuesday 01:57
くっくり



 この震災では特に遺体捜索でお世話になった自衛隊そして警察、消防、ボランティアのみなさまの活躍には頭が下がる思いでした。

 岩手県雫石上空で発生した全日空機と自衛隊機の空中衝突事故を思いだしました。私は当時、自衛隊員として乗客乗員の遺体収容に携わり、警察の検視チームは腐敗臭の漂う部屋で遺体の検視部分の縫合など死者や遺族に礼を失することなく、遺族へ遺体を引き渡していました。

 震災でも、献身的に活躍する人の心は、なにひとつとして変わっていなかったのです。日本人の心たる「絆」は脈々と受け継がれていたことがせめてもの慰めとなりました。東北の人々は絆を合言葉に復旧復興に向けて前進しているはずですし、春が芽吹きとともに必ず訪れるように復旧復興も必ずや果たせます。

 犠牲となった御霊に合掌

 産経新聞2012年3月12日「私の3・11」第2章


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[宮城県石巻市に転がる缶詰の塗装が施された巨大なタンク。市内の水産加工会社の工場から流出しました。会社側は「震災の象徴でもあり保存したいが『恐怖がよみがえる』という話もあり、300メートル離れた会社敷地内に運ぶ予定」とのことです]

【揺れる東京駅 不安な9時間】

 栃木県那須塩原市、吉田美佐子さん(57)

 あの日、横浜に住んでいる娘と孫が熱を出し3日間看病をして家に帰る途中、東京駅ホームで地震に遭いました。9時間近く不安な時を過ごしました。携帯の電源が切れ、連絡が取れないでいたところ、20代の女の子が声をかけてくださり30分くらい充電してくれました。

 それから何十回も東京にいる長男にメールを送り、やっと午前0時ごろつながりました。東京駅近くに職場があり帰れずに待機していたので歩いてきてくれて会うことができました。長男夫婦の家に3時ごろ着きました。テレビをつけた瞬間、目を疑うような映像が次から次へと映し出されていました。震えが止まらなかったことを今でも覚えています。

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