語り継ぎたい3・11体験談、そして被災地へのエール

2012.03.20 Tuesday 01:57
くっくり


 凛として
   三春生まれと
      胸を張る

 産経新聞2012年3月12日「私の3・11」第2章


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[2012年3月10日、石巻市駅前にぎわい交流広場で開催されたイベント「鎮魂の夕べ」では、献花台の前で祈りを捧げる人の姿が多く見られました]

【生きていてくれ】

 茨城県石岡市、河野龍介さん(59)

 ちょうどその日は私の38年間勤めた職場の送別会の日でした。午後6時からの送別会に出席すべく家でくつろいでいた午後2時46分、激しい揺れに突然襲われました。まさかこの日が宮城県山元町に居住する姉夫婦の命日になるとは思いもよらなかったのです。

 震災から4日目に姉の長男にようやく連絡が取れ、姉夫婦が住んでいた家は「土台を残し何もない。両親に連絡がとれず安否が確認できない」との悲痛な電話でのやりとりでした。

 姉の自宅に向かいましたが、常磐線山下駅近くの踏切には上野方面に進路を向け貨物列車が停車しており、貨物部分は脱線、転覆し水田に転落している車両も見えた。周辺の家屋は屋根まで津波が襲い2階部分まで壁がえぐり取られ、家の内部が見える状態です。

 「生きていてくれよ」の願いをかき消すように姉夫婦の住んでいた家は基礎を残し跡形もありません。そのとき姉の次男が遠く離れた水田を指し、「お母さんの車だ」と大声を発したのです。

 「中に避難していてくれ。生きていてくれ」と願いつつ、用水路を飛び越え、ぬかるむあぜ道を駆け寄るとフロントガラスが割れ、屋根やドアが押しつぶされた無残な状態の車だったのです。私は警察官としての経験から生存確率は極めて薄いことを感じていました。

 それから10日ほど経過した3月28日。私の59歳の誕生日で38年間勤めた警察官最後となるべき退官の日でした。お別れのあいさつを済ませ、自宅に戻った夕刻、宮城の姉夫婦の長男から「お母さんの遺体が角田の安置所で見つかった」との連絡でした。しばらくして震災から100日目に義兄らしき遺体が発見され、DNA鑑定の結果、義兄と確認され、2人一緒の仙台市の寺院での葬儀ができたのです。姉は私の誕生日に、義兄は震災から百か日目に遺体が発見されました。2人の遺体はそれほど離れず発見されたようです。

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