2012.03.20 Tuesday 01:57
くっくり
【今度は私らが恩返し】
福島県いわき市、菅野豫さん(86)
昼の食事が終わってから新聞に目をやっているとガタガタガタガタと揺れが来た。息子家族が風呂に入りに来る日が続いて3日目の夜、息子が「放射能が危ない、避難だ、避難だ」と慌てだした。防寒具、お金だけを持って車3台で関東に向かった。成田から那覇についたのは3月15日。観光案内所で安い宿を予約してもらった。
宿代を支払うとき、半額を返してくれたので訳を尋ねると、「私は阪神大震災に遭いました。あの時たくさんの人々に助けてもらったのです。今度は私らが恩返しするときです」。ぐっとこみあげて胸が締めつけられる思いでした。
放射能の心配が薄らいだころ帰宅しましたが、この災害の様子を私なりに子孫に伝えることは、「油断大敵」の意を少しは裏づけることになると思います。
産経新聞2012年3月12日「私の3・11」第2章
【義母の遺体を守る 妻と頑張った】
福島県三春町、過足好一さん(61)
3月11日は妻の母が亡くなっていたので田村市の妻の実家におりました。午後2時46分に大地震が発生して義母の遺体を守るのに妻とがんばりました。まさか原発にまで被害があったと思いもせず、わが家に帰宅すると87歳になる母が「郡山で仕事をしていた消防団員の長男が火の始末に帰ってきて母のために電気ごたつを用意して行った」と話をしました。
14日の葬式。妻の兄弟たちの緊急避難、またガソリンを4時間待って入れたことを思い出します。
今も私たちは放射線を浴びて生活していますが、三春町から出るわけにはいきませんので、日本人としての矜持を失わず、三春で生きていきます。
[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (0)
<< 死亡説はデマです!福島第一原発・吉田昌郎前所長は健在です!
「アンカー」北ミサイル発射予告の背景!背中を押したのはおまえだ >>
[0] [top]