語り継ぎたい3・11体験談、そして被災地へのエール

2012.03.20 Tuesday 01:57
くっくり


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[地震、津波、原子力災害により、東北の美しい“故郷”は破壊されました。この無残な光景を誰が予想しえたでしょうか]

【「津波が来る」…暗闇を歩き続けた】

 宮城県多賀城市、岩佐登子さん(63)

 そのとき私は宮城県塩釜市新浜町にいた。「津波が来る、各自避難せよ」と言われても避難場所すら分からない。幸いにも帰るべき道順なら知っているという方がいて、一緒なら何とかなるでしょうとばかりに2人で歩き出した。

 しかし、雪の舞うモノトーンの世界、車のタイヤの跡さえも雪に消されてしまい、目印になるようなものさえ確認できない。

 それでも何とか彼女の目的場所まで同行させてもらい、その後はひたすら教えられたとおりに歩き続けて東北線塩釜駅までたどり着いたが、夕闇の中ではその建物さえも駅舎とは気づけないような状態だった。幸いにもタクシーが構内に入ってきたので自宅近くの行けるところまでということで乗車した。

 笠神新橋付近で通行止めとなり、暗闇のなかを歩き、気づくと指定避難場所の天真小学校にたどり着けた。

 その夜は明かりも暖房も心細い中で携帯ラジオを聴きながら夜を過ごした。

 「窓から見える」

 人声が気になり、2階教室の窓から外を見たとき火柱が見えた。石油コンビナート火災の炎が闇夜に異様な明るさをもたらしていた。

 一夜が明け、校庭に給水車が止まり、それぞれに連絡をとろうとしたが無駄だった。電話は通じない、携帯電話は電池切れ。それでも、「笠神新橋が通行許可になったよ」と被災者同士で帰宅ができるようになるまでの時間が来るのを待ちながら助け合いの言葉をかけあった。

 私は昼頃には帰宅できたが、その惨状には涙もでなかった。

 砂押川の堤防は自宅近くの箇所も決壊し、道路は片側部分がえぐり取られていた。

 家族は2階に避難できていたので無事だったが、1階部分はすべての部屋が塩害の泥に覆われていた。床下収納庫はふきあげられていて、そこからも泥水がふきあげたという。

 地震で家具は倒れ、移動し落下して泥のなか。電気は切れ、暖房もない。灯油もないのでストーブも使えない。風呂の中まで泥が入ったので、くみ置きの水もなくトイレも使えない。それでも大規模半壊とはいえ、住めないわけでもない家があり、家族も無事であっただけでも幸運だといわれた。

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